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熊沢蕃山(くまざわばんざん)墓所:古河市・真室川町友好姉妹都市締結記念樹:鮭延寺(けいえんじ)
由緒
慶安元年(1648年)頃に、
戦国武将であり、出羽山形藩最上家五十七万石の重臣であった鮭延秀綱の菩提を弔う為、
家臣達によって屋敷跡に創建されました。
最上家の家老であった鮭延秀綱は、
元和八年(1622年)のお家騒動で最上家が改易となった際、老中の土井利勝に預けられ、
後に利勝の家臣となりました。利勝の転封に伴って古河に移り住み、
仕え続けていた家臣十四名に食禄を全て分け与えて余生を過ごしたといわれています。
自身は1日置きに家臣の家を泊まり歩いていたそうです。
鮭延秀綱墓所
境内には鮭延秀綱の墓所があります。
仙北の小野寺氏、越後の上杉氏、陸奥の伊達氏らと覇権を激しく争った最上義光のもと、
鮭延秀綱は合戦での武勇のみならず、知略にも長けており、
知勇兼備の名将として知られました。
古河市・真室川町友好姉妹都市締結記念樹
鮭延秀綱の墓のある古河市と、所領のあった真室川町は、友好姉妹都市が締結されています。
熊沢蕃山(くまざわばんざん)墓所
熊沢蕃山は、元和五年(1619年)に京都で生まれ、
外祖父で水戸藩初代藩主の徳川頼房に仕えていた熊沢守久の養子となり、
熊沢姓となりました。学者として大成し、陽明学者として知られます。
貞享四年(1687年)に古河藩に招かれましたが、時事を論じたことで幕府の嫌疑にふれ、
古河城の一隅に禁錮の身になっていましたが、元禄四年(1691年)に七十三歳で亡くなり、
鮭延寺境内に葬られました。
本堂
鮭延寺のご朱印
令和六年拝受:ご朱印
寺院情報
- 住所:茨城県古河市大堤1030-1
- アクセス:JR古河駅から徒歩約30分
JR古河駅西口より境車庫行バス乗車大堤新国道バス停下車徒歩約3分
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