東京都新宿区:富士塚・高田富士:水稲荷神社(ご朱印無し)

水稲荷神社(みずいなりじんじゃ)

社務所のご案内

ご朱印の授与はないようです。

富士塚(ふじづか)

富士塚

富士信仰に基づいて、富士山に模して造られた山や塚のことです。
江戸時代に始まったもので、特に関東地方の神社に多く見られます。
既に存在する丘や古墳を転用して富士山に見立てたものや、
富士山の溶岩積み上げたものがあります。
浅間神社の境内にあり、富士塚の山頂にも浅間神社奥宮が設けられています。

令和五年:高田富士祭

普段は公開されていませんが、毎年七月『高田富士祭』の期間は登拝できます。

境内にも提灯が飾られていました。

高田富士由緒

安永九年(1780年)築かれ江戸市中最大最古富士塚です。

高田富士外観

高田富士登山道登口

東側鳥居から入りました。普段は閉じられている入口が開放され、
案内看板がありました。

高田富士鳥居

鳥居が登山口になります。

高田富士浅間神社

登山口鳥居のそばに浅間神社があります。

高田富士登山道

登山道の中腹には祠があります。小御岳大神祀られています。

胎内洞窟がありました。

高田富士山頂・浅間神社

山頂では鐘を撞くことができます。

高田富士山頂からの眺め

高田富士山頂からの眺めです。かなりの高さであることがわかります。

環状四号線側から見た富士塚です。

水稲荷神社(みずいなりじんじゃ)

由緒

天慶四年(941年)藤原秀郷冨塚の地(現在の早稲田大学構内)に稲荷大神勧請し、
富塚稲荷命名されましたが、
元禄十五年(1702年)霊水が湧き出し、現在の『水稲荷神社』改名されました。

昭和三十八年(1963年)早稲田大学の拡張に伴い、土地交換を行い、
甘泉園のある現在の社地遷座しました。

富塚(とみづか)跡:西早稲田1丁目6

早稲田大学九号館にある西早稲田1-6の地に、『富塚跡』という看板があります。

昭和四十一年(1966年)甘泉園内移転するまで水稲荷神社敷地で、
境内には富塚という古墳(円墳)がありました。水稲荷神社移転時に崩され
整地されたそうです。

富塚古墳

社殿裏には早稲田大学九号館裏の元の場所から移された、富塚古墳がありました。

富塚古墳はこの辺りの地名「戸塚」の起源となったそうです。

東側社標

早稲田大学方面側の入口となります。

参道の先に鳥居があり、その先に社殿がありました。

社殿横にも鳥居があります。早稲田大学の文字がありました。

社殿

高田富士祭の日には盆踊りの舞台が作られ、提灯が飾られていました。

宮神輿が安置されていました。

新目白通り側社標

目の前の道路には都電荒川線が走っています。そばには甘泉園があります。

公務員宿舎甘泉園住宅側入口

水稲荷神社の隣にある「公務員宿舎甘泉園住宅」側の入口です。
参道に入る事ができます。

耳欠け神狐

身体の痛いところ神狐と交互になでると、痛みがやわらぐといわれているそうです。

堀部武庸加功遺跡之碑

赤穂浪士堀部安兵衛逸話として有名な、
『高田馬場の決闘』における助太刀の事績を顕彰する記念碑が立っています。
元禄七年(1694年)叔父菅野六郎左衛門果し合い助太刀し、
相手方三人切り倒しました。

江戸時代高田馬場の管理を委託されていた甲州屋の子孫行田久蔵が、
明治四十三年(1910年)建立しました。
当初は茶屋町通りにある久蔵の植木園に建てられましたが、
昭和四十六年(1971年)現在地に移されました。

二宮金次郎像

参道に二宮金次郎像がありました。

太田道灌駒繋松

水稲荷神社のある地はかつては山吹の里と呼ばれ、太田道灌故事の舞台ともなりました。
社殿の東側にあります。

北野神社

牛込天神町から遷座され、早稲田大学創立者大隈重信日々拝礼し、
特に信奉が篤かった社です。

高木神社

元々早稲田大学構内にあった社が遷されました。

平和の碑

当時の内閣総理大臣である佐藤栄作の書です。

神社情報

  • 住所:東京都新宿区西早稲田3-5-43
  • アクセス:都電荒川線面影橋徒歩約3分・東京メトロ東西線早稲田駅徒歩約10分

甘泉園(かんせんえん)公園

水稲荷神社の隣には新宿区立甘泉園公園があります。

甘泉園(かんせんえん)の歴史

江戸時代安永三年(1774年)徳川御三卿の一つ、清水家江戸下屋敷がありました。
明治三十四年(1901年)横浜正金銀行頭取相馬永篤が、
清水家当主徳川篤守から買い取りましたが、昭和十三年早稲田大学移譲されました。

甘泉園という名は、園内に湧き水があり、清川常時涸れず
また茶に適したところから起こりました。

戦後東京都が買収し、昭和四十四年新宿区へ移管しました。

甘泉園入口(新目白通り側)

回遊式日本庭園です。

日本庭園

自然豊かな庭園です。

滝もあります。

訪問日前日台風(2023年6月3日台風2号)の影響で池の水が濁っていました。

テニスコートも水没していました・・・。

環状四号線方面にはマンションが見えます。

甘泉園南側入口

水稲荷神社参道からも甘泉園に入る事が出来ます。

水稲荷神社鳥居

甘泉園公園庭球場から水稲荷神社に入る鳥居があります。

甘泉園裏門(環状四号線側)

環状四号線から階段を登ると甘泉園に入る事が出来ます。
高台にあることがわかります。

聴松亭

水稲荷神社の境内に、徳川家の遺構である茶室聴松亭があります。

旧跡:高田馬場(たかたのばば)跡

由緒

西早稲田交差点『旧跡高田馬場跡』の案内がありました。
西早稲田三丁目1・2・12・14番を含む長方形の土地が、
江戸時代高田馬場跡です。

馬場寛永十三年(1636年)に造られたもので、旗本たちの馬術の練習場でした。
馬場の一角、茶屋町通りに面したところは、
堀部安兵衛叔父菅野六郎左衛門決闘の助太刀をしたとされるところです。

八幡鮨の前に高田馬場の案内看板がありました。

茶屋町通り

旗本の馬術練習場の見物客向けに、地元の農家がこの付近で茶屋を開いたそうです。

八幡鮨にはかつての高田馬場の絵図が貼ってありました。

「たか“た”のばば」と「たか“だ”のばば」

JR山手線『高田馬場(たか“だ”のばば)駅』がありますが、
当地は『高田馬場(たか“た”のばば)』と濁点はつきません。
明治時代鉄道が引かれた際、西側の場所の駅名に高田馬場と名付け
反対する住民に、駅名に限り濁点をつけるからと説得したそうです。

今では『高田馬場』といえば、JR山手線の高田馬場駅周辺のイメージですが、
実は現在の西早稲田三丁目『本当の高田馬場』のようです。

ご覧頂きましてありがとうございます。