【訪問寺社まとめ】富士塚のある寺社のご朱印

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これまでに参拝しました富士塚(ふじづか)のある寺社のご朱印をまとめてみました。

富士塚(ふじづか)

富士塚

富士信仰に基づいて、富士山に模して造られた山や塚のことです。
江戸時代に始まったもので、特に関東地方の神社に多く見られます。
既に存在する丘や古墳を転用して富士山に見立てたものや、
富士山の溶岩積み上げたものがあります。
浅間神社の境内にあり、富士塚の山頂にも浅間神社奥宮が設けられています。

江戸七富士

江戸七富士

品川富士:品川神社(東京都品川区)
●千駄ヶ谷富士:鳩森八幡神社(東京都渋谷区)

下谷坂本富士:小野照崎神社(東京都台東区)
●江古田富士:江古田浅間神社(東京都練馬区)
●十条富士:十条富士神社(東京都北区)
●高松富士:豊島長崎の富士塚(富士浅間神社)(東京都豊島区)

音羽富士:護国寺(東京都文京区)
※かつては高田富士(現・早稲田大学構内)と合わせて、江戸八富士と呼ばれていました。
高田富士:水稲荷神社(東京都新宿区)

東京都渋谷区

千駄ヶ谷富士:鳩森八幡神社(はともりはちまんじんじゃ):江戸七富士

寛政元年(1789年)築造されました。都内最古の富士塚があり、通年登ることが可能です。
富士塚のご朱印も頂きました。

東京都新宿区

成子富士:成子天神社(なるこてんじんしゃ)

大正九年(1920年)に境内にあった天神山という小山に、
富士山の溶岩を配して築かれました。
高さは約十二メートルあり、新宿区内では最大規模です。

西久保の厄除け富士:稲荷鬼王神社(いなりきおうじんじゃ)

昭和五年(1930年)境内社として浅間神社再興され、境内に富士塚造成されました。
『西久保の厄除け富士』と呼ばれています。

富士塚のご朱印頂きました。

高田富士:水稲荷神社

安永九年(1780年)築かれ江戸市中最大最古富士塚です。

東京都大田区

羽田富士:羽田神社(はねだじんじゃ)

『羽田富士』と呼ばれ、明治時代の初頭に築造されました。
塚の一部には富士山の溶岩が使用されています。
富士塚のご朱印も頂きました。

東京都豊島区

池袋富士塚:池袋氷川神社

明治四十五年(1912年)に築かれた富士塚は、高さ約五メートルで、
東西幅約十三メートル南北幅約十八メートルの大きさになります。
毎年7月1日のみ開山されます。

高松富士:豊島長崎の富士塚:江戸七富士

国の重要有形文化財に指定されています。

東京都台東区

下谷坂本の富士塚(国指定重要有形民俗文化財):小野照崎神社:江戸七富士

文政十一年(1828年)の築造と考えられています。
高さ約五メートル直径約十六メートルです。

浅草富士浅間神社:東京都台東区

江戸時代には浅草寺子院修善院管理のもと、修験道による祭祀が行われていました。
江戸を代表する富士信仰の聖地として、各所の富士講講員尊崇を集めました。

東京都練馬区

江古田の富士塚(国指定重要有形民俗文化財):江古田浅間神社:江戸七富士

塚の高さ8メートル直径約30メートルの大きさで、
都内の富士塚の中でも大規模の部類に入るそうです。
昭和五十四年国指定重要有形民俗文化財に指定されました。

中里の富士塚(大泉)

中里の富士塚は、明治初期講中によって築造されたといわれていますが、
文政五年(1822年)の石碑があることから、江戸時代すでにその原形があったと思われます。

下練馬の富士塚:北町浅間神社

下練馬富士塚は、明治前第一回明治初年第二回築造があり、
昭和三年の第三回まで築造されました。

東京都杉並区

井草八幡宮(いぐさはちまんぐう)

元々本殿西南側にあったものが、昭和五十年に神社横駐車場の場所に移築されました。

東京都品川区

品川富士(都内最大の富士塚):品川神社(しながわじんじゃ):江戸七富士

明治二年(1869年)北品川宿丸嘉講社講中三百人により造られました。
富士塚へは通年登ることができます。

東京都文京区

駒込富士神社(ふじじんじゃ)

拝殿富士塚の上に建っています。
駒込富士神社は元々あった古墳を富士塚として、その上建っているそうです。

音羽富士:護国寺(ごこくじ):江戸七富士

護国寺には『音羽富士』と呼ばれる富士塚があります。
音羽富士江戸時代文化十四年(1817年)造られ
明治十八年(1885年)現在地に移されました。標高約6メートルあります。

東京都北区

十条富士神社(じゅうじょうふじじんじゃ):江戸七富士

江戸時代に創建されたといわれています。
「補助第83号線」道路整備の関係により、
十条富士塚も令和二年(2020年)から整備され、令和五年に完成しました。

田端富士:田端八幡神社(たばたはちまんじんじゃ)

境内には『田端富士三峰講』が祀る富士塚があります。
毎年2月20日『富士講の初拝み』として祭事が行われます。

東京都足立区

西之宮稲荷神社(にしのみや)

『五反野富士』と呼ばれる富士塚は、大正九年(1920年)築造されました。

東京都目黒区

目黒富士:上目黒氷川神社

文化九年(1812年)目切坂上(上目黒1-8)に築かれたもので
高さ十二メートルあり、石祠(浅間神社)祀っていましたが、
明治十一年(1878年)取り壊しとなり、
氷川神社の境内石祠や富士講の石碑が移されました。

東京都中央区

鉄砲洲富士:鉄砲洲稲荷神社(てっぽずいなりじんじゃ)

寛永二年(1790年)富士塚が築造されました。
明治三年(1870年)新地移築され、明治七年(1874年)再築されました。
その後境内で数度移築されました。

東京都荒川区

小塚原富士(こつかはらふじ)(南千住富士):素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)

『瑞光石(ずいこうせき)』のある小高い塚に、
元治元年(1864年)富士塚を築き、浅間神社お祀りされました。

毎年7月1日御山開き斎行され、登拝することができます。

東京都武蔵野市

杵築大社(きづきたいしゃ)

清瀬中里の富士塚に次いで三多摩では最大規模のものです。

東京都清瀬市

中里の富士塚(清瀬)

丸嘉講武州田無組中里講社により、柳瀬川右岸段丘縁辺地築かれました。
文化文政年間(1804年~1830年)の築造と考えられます。

埼玉県所沢市

将軍塚(富士塚)

新田義貞逗留したことから将軍塚と呼ばれるようになりました。
富士塚とも呼ばれ、あるいは古代の塚ではないともいわれています。

埼玉県志木市

田子山富士塚(たごやまふじづか):敷島神社

引又(ひきまた・現在の志木市)宿醤油醸造業を営む高須庄吉が、
田子山塚富士山入定に先立ち建立した逆修の板碑暦応三年(1340年)】を発見し、
富士山信仰に篤い高須は、明治五年(1872年)田子山塚の頂上富士塚築造しました。

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