鎌倉幕府初代将軍・源頼朝ゆかりの地:遅野井八幡宮(おそのいはちまんぐう):井草八幡宮(いぐさはちまんぐう)
由緒
古い地名を冠して、遅野井八幡宮(おそのいはちまんぐう)とも呼ばれていました。
善福寺川の源流である善福寺池が豊富な湧水であったことから、
古くから人々が生活していたと考えられ、
周囲からも縄文時代の住居跡や土器が発見されているそうです。
創建当時は春日社でしたが、
源頼朝が奥州藤原氏征伐の際に立ち寄り、戦勝祈願を行ったことから、
八幡宮をお祀りすることになりました。
文明九年に太田道灌が石神井城の豊島氏攻めの際の戦勝祈願に訪れました。
江戸幕府三代将軍の徳川家光は、寺社奉行の井上正利に社殿を造営させました。
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境内案内図
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鳥居は大鳥居以外に北鳥居と西鳥居、東参道の鳥居の計4つあります。
境内の敷地は1万坪もある都内有数の境内の広さをもっています。
富士塚(ふじづか)
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元々本殿西南側にあったものが、昭和五十年に神社横駐車場の場所に移築されました。
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駐車場が閉じられていたので、浅間神社より写真を撮らせて頂きました。
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江戸時代にあった『丸を講』という富士講が、
井草八幡宮と浅間神社に奉納した燈籠です。
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頼朝公御手植えの松
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源頼朝が手植えした松は高さ約四十メートル、周囲約五メートルで、
大人三人がやっと抱えられる大きさでしたが、
昭和四十八年に強風によって二股分かれた大幹の一方から急速に枯れてしまいましたが、
現在は二代目として大事に育てられています。
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文治五年(1189年)に源頼朝は、奥州藤原氏征伐に向かう途中、
戦勝祈願に立ち寄りました。
無事平定に成功した頼朝は、建久四年(1193年)に社頭に二本の松を自らの手で植えました。
大鳥居
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昭和三十三年に建立されました、高さ約9メートルの大鳥居です。
東参道
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大鳥居をくぐると、五年に一度、流鏑馬(やぶさめ)が実施される参道となります。
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東参道にある鳥居です。
流鏑馬の的の場所
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的の位置に『一の的』『二の的』の印がありました。
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楼門
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昭和四十六年に建立されました。鉄筋コンクリート造です。
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中門と廻廊
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拝殿
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拝殿奥の本殿は、江戸時代寛文四年(1664年)に改築されました。
文華殿
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当初神輿庫として設計されていました。
後に宝物殿として『文華殿』と名乗りました。
神輿庫
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三年に一度、神幸祭で神輿が氏子地域を渡御します。
招神殿(しょうしんでん)
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文化十年(1813年)に造られた元の拝殿です。
現在は祖霊社として戦争で亡くなられた方がお祀りされています。
西鳥居
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招神殿の側には西鳥居があります。
鳥居から出ると『井荻民俗資料館』があります。
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井荻八幡宮が氏子や近隣の協力で収集した郷土資料や民俗資料を公開する為、
昭和四十年に開館されました。
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神楽殿
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平成七年に従来の舞台だけのものから、橋掛りのあるものに改築されました。
北参道と北鳥居
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東参道とは別に北鳥居に向かう参道があります。
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北鳥居には昭和四十二年に造られた、
高さ九メートルの大燈籠もあります。
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江戸・東京の農業:井荻ウド
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ウドは数少ない日本原産の野菜だそうです。
江戸時代後期にはこの地域でも栽培されました。
文政年間(1818年~30年)に古谷岩右衛門が尾張で栽培法を習い、
一帯に広まっていきました。
井草八幡宮のご朱印
平成二十二年拝受:ご朱印
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令和四年五月拝受:ご朱印
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神社情報
- 住所:東京都杉並区善福寺1-33-1
- アクセス:JR荻窪駅より『井草八幡宮』バス停下車
西武新宿線上石神井駅より西荻窪駅行バスに乗車『桃井第四小学校』バス停下車 - HP:https://www.igusahachimangu.jp/index2.html
井草八幡宮周辺:青梅街道沿い
江戸向き地蔵と三山百番供養塔
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青梅街道沿いの上井草四丁目交差点に三体の地蔵菩薩立像と、
一基の三山百番供養塔が造立されています。
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『江戸向き地蔵』と呼ばれる中央の地蔵菩薩立像は、
享保十四年(1729年)に造立されました。
『三山百番供養塔』は文政九年(1826年)に造立されました。
坂東三十三観音、秩父三十四観音、西国三十三観音、出羽三山の巡礼記念です。
善福寺(ぜんぷくじ)
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周辺の地名が『善福寺』と呼ばれているので、お寺が由来と思いがちですが、
元々『福寿庵』と称する浄土系の小庵でした。
昭和十七年(1942年)に善福寺と改称されました。
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地名の由来となった『善福寺』は、江戸時代の地震により廃寺になったそうです。
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富士信仰に基づいて、富士山に模して造られた山や塚のことです。
江戸時代に始まったもので、特に関東地方の神社に多く見られます。
既に存在する丘や古墳を転用して富士山に見立てたものや、
富士山の溶岩を積み上げたものがあります。
浅間神社の境内にあり、富士塚の山頂にも浅間神社奥宮が設けられています。