阿野全成・時元墓所:大泉寺(だいせんじ)
源氏ゆかりの寺
源頼朝異母兄弟:阿野全成(あのぜんじょう)ゆかりの地
大泉寺は阿野全成の屋敷の持仏堂でした。全成と息子の時元の墓所があります。
阿野時元(あのときもと)
阿野全成の四男となります。前月に三代将軍の源実朝が殺害されると、
次期将軍職を望んで、承久元年(1219年)に反北条の兵を挙げました。
執権の北条義時は直ちに兵を差し向け、十日後に阿野一族は敗北し、
時元も自刃しました。
由緒
阿野全成は屋敷に先祖の霊を弔うために持仏堂を建立しました。
寺には戦国大名の今川義元が寺領安堵・諸役免除を保証した判物が古文書して残されています。
元々真言宗であった大泉寺は裾野の普明寺の梁山宗棟を招いて開山し、
曹洞宗に改宗しました。
明治七年(1884年)に大泉寺を仮校舎として、
浮島小学校の前身である弘需館が設立されました。
首掛けの松跡
謀反の疑いをかけられ常陸国に流された阿野全成は、
二代将軍の源頼家の命令で八田知家に誅殺されました。
はねられた首が空を飛び、大泉寺の松に掛かったという伝承があります。
切り株と記念碑があります。
住職さんのお話によると、松の木の大きさは山門まであったそうです。
消しゴムハンコ
本堂内に飾られている住職さん手作りの消しゴムハンコです。
撮影しても良いという事で撮らせて頂きました。
住職さんのお話によると、消しゴムハンコを始めてからまだ数年だそうですが、
見事な出来です。
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でもお馴染みの善児(ぜんじ)も見事な出来栄えです。
『鎌倉殿の13人』の中の全成が風を呼ぶシーンでしょうか。
山門
寺標(根方街道側)
かつて根方街道側は沼地であったそうです。
周辺の『浮島(うきしま)』という地名からもうかがえます。
本堂
本堂では前住職である住職さんのお父様からお話を伺う事が出来ました。
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で阿野全成役を演じられた、
俳優の新納慎也(にいろしんや)さんがお寺を訪問されたお話など、
興味深く聞かせて頂きました。
本堂の中には鎌倉幕府二代将軍の源頼家の子で三代将軍の源実朝を暗殺し殺害された、
公暁(くぎょう・こうぎょう)の位牌もありました。
お話によると、公暁も阿野全成と同じ源氏の一族という事で、御供養されているそうです。
阿野全成・時元墓
左の塔は阿野全成墓、右は時元の墓となります。
本堂横を通ると奥に墓所があります。
阿野の館
住職さんのお話では、阿野の館は城郭としての機能も持っているそうで、
境内の外側に石垣や土塁が見られました。
寺院では見られない高さの土塁があり、守りの固さがわかります。
境内
金色の仏像が安置されていました。
幼稚園の横にお堂があります。
日露戦争の第二軍司令官として出征した陸軍大将の奥保鞏(おくやすたか)の碑があります。
赤い帽子を被ったかわいい石像もあります。
六地蔵となでぼとけ
佛足石
大泉寺のご朱印
大泉寺御本尊:ご朱印
阿野全成:消しゴムハンコ:ご朱印
住職さんの消しゴムハンコは見事です。
阿野の館の御城印
阿野の館:御城印
沼津駅2階の沼津観光案内所で頂きました。
沼津西高校芸術科書道専攻の生徒さんとの街おこしプロジェクトとして、
御城印プロジェクトを行っているようです。
寺院情報
- 住所:静岡県沼津市井出744
- TEL:055-966-2016
- アクセス:JR沼津駅下車東平沼行きバス東井出バス停下車徒歩2分
- HP:http://daisenji.com/
大泉寺周辺
福食堂の限定メニュー第3弾:公暁スタミナラーメン
大泉寺とのコラボで大河ドラマ限定メニューがありましたので、
『公暁スタミナラーメン』を頂きました。
地元の食材が使われています。特に「沼津ねがた白ネギ」の歯応えが良く、
とても美味しかったです。
第1弾『あのネギみそラーメン』第2弾『あのシイタケ親子丼』もありました。
大泉寺とのコラボご朱印もあり、ご朱印を持参すると割引サービスもあるようです。
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の阿野全成役を演じた、
新納慎也(にいろしんや)さんも来店され、
「あのネギみそラーメン」を食べていかれたそうです。
福食堂住所
- 住所:静岡県沼津市井出218−2
毎週火曜日と第三水曜日が定休日のようです。
弁財天
大泉寺から少し歩くと池が見えてきました。
弁財天は毎年大泉寺が法要が行っているそうです。
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源義朝の七男で源頼朝の異母弟にあたり、幼名は今若といいます。
母親は源義経と同じ常盤御前となります。
平治の乱で父の義朝は敗死し、今若は醍醐寺に預けられ出家し、全成と改名しました。
荒法師ぶりから『醍醐の悪禅師』とも呼ばれました。
その後頼朝の兄弟の中で初めて平家打倒の挙兵に参加しました。
鎌倉幕府の御家人として駿河国阿野荘(静岡県沼津市)を領有し、
頼朝の妻である北条政子の妹の阿波局と結婚しました。
建仁三年(1203年)に鎌倉幕府二代将軍の源頼家に謀反の疑いをかけられ、
常陸国に配流され、頼家の命を受けた八田知家に誅殺されました。享年五十一でした。