【史跡訪問】神奈川県鎌倉市:朝夷奈切通(あさいなきりどおし)
鎌倉七口:朝夷奈切通(あさいなきりどおし) 鎌倉七口(かまくらななくち) 鎌倉への陸路での入口を指します。鎌倉は三方を山に囲まれて人や物資の行き来が不便な為、山を切り開いて道を作りました。 ①極楽寺坂切通(ごくらくじざか...
ご朱印や御城印・街道印|全国の神社仏閣・城郭の巡拝記
鎌倉の史跡・墓所鎌倉七口:朝夷奈切通(あさいなきりどおし) 鎌倉七口(かまくらななくち) 鎌倉への陸路での入口を指します。鎌倉は三方を山に囲まれて人や物資の行き来が不便な為、山を切り開いて道を作りました。 ①極楽寺坂切通(ごくらくじざか...
鎌倉の史跡・墓所鎌倉幕府有力御家人の梶原景時ゆかりの地:梶原大刀洗水(かじわらたちあらいみず) 梶原大刀洗水 鎌倉十二所側から朝夷奈切通に向けて歩く途中、鎌倉幕府有力御家人の梶原景時が上総広常を鎌倉の御所にて斬った後、刀を洗ったとされる...
鎌倉の史跡・墓所鎌倉幕府有力御家人・上総広常ゆかりの地:上総介塔(かずさのすけとう) 上総広常(かずさひろつね)の墓 朝夷奈切通の近く、金沢八景駅へ向かう大きな通り沿いにあります。 かつてあった五輪塔は道路拡張の際に壊され、昭和五十九年...
神奈川県の寺社仏閣鎌倉幕府有力御家人の大江広元ゆかりの地:大江稲荷 明王院から金沢街道を東に向かうと、鎌倉幕府有力御家人の大江広元を祀る大江稲荷があります。 由緒 鎌倉幕府で初代政所別当を務めた大江広元を祀ります。 生前は十二社に屋敷を構...
鎌倉の史跡・墓所鎌倉幕府有力御家人・和田義盛ゆかりの地:和田塚(わだづか) 江ノ島電鉄の和田塚駅の近くには『和田塚』と呼ばれる、鎌倉幕府有力御家人の和田義盛ゆかりの地があります。 和田義盛 久安三年(1147年)に三浦義明の子である杉本...
歴史的建造物華頂博信侯爵邸:旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい) 報国寺から山の方へ少し歩きますと旧華頂宮邸があります。 華頂宮家(かちょうのみやけ) 慶応四年(1868年)に伏見宮邦家親王の第十二王子である、博経親王により創設さ...
鎌倉の史跡・墓所源頼朝発願:永福寺(ようふくじ)跡 由緒 文治五年(1189年)に奥州藤原氏との奥州合戦を契機に、源義経や藤原泰衡らを供養する為、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝が発願しました。 建久三年(1192年)に本堂が完成しましたが、応...
鎌倉の史跡・墓所大江広元ゆかりの地:三浦一族ゆかりの地:法華堂跡 鎌倉幕府有力御家人・北条義時ゆかりの地:北条義時墓所 北条時政の次男で、姉の北条政子が源頼朝の妻となったことを契機に、父や兄・宗時とともに平家打倒に挙兵しました。頼朝をは...
神奈川県の寺社仏閣源頼朝ゆかりの地:白旗神社(しらはたじんじゃ) 御祭神 源頼朝公 由緒 源頼朝の居館(大蔵幕府)の北隅に持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって、髪の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置されて、篤く信仰されていました。 ...
ご朱印巡りまとめこれまでに参拝しました古都鎌倉十三佛霊場の札所をまとめてみました 古都鎌倉十三佛霊場 十三仏を参拝すれば、亡き人の追善になり、また追善を行った功徳により、自らの死後十三王の審判から救済されるという十三仏信仰が盛んになり、...