京都府京都市中京区:御祭神・御霊八所の神:下御霊(しもごりょう)神社のご朱印

京都御所の産土神(うぶすながみ):下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)

由緒

桓武天皇の時代、各地で疫病が流行しました。これは御霊の祟りであると、
貞観五年(863年)平安京神泉苑御霊会(ごりょうえ)が催され、
これが上御霊神社とともに創祀となりました。以後京都御所の産土神として崇敬されました。

天正十八年(1590年)に、豊臣秀吉の都市整備に伴い、現在地へ遷されました。

御祭神

御祭神

吉備聖霊:六座の神霊の和魂(にぎみたま)
祟道天皇(すどうてんのう):桓武天皇の皇太子・早良(さわら)親王
伊予親王:桓武天皇の皇子
藤原大夫人:伊予親王の母・藤原吉子
藤大夫:藤原広嗣(ひろつぐ)
橘大夫:橘逸勢(はやなり)
文大夫:文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)
火雷天神:六座の神霊の荒魂(あらみたま)

いずれも政争に巻き込まれ憤死したため、その御霊を慰めるため、
神社が創建されました。

相殿:霊元天皇当時の神主出雲路信直・直元父子親交があったためと考えられる。

社標と鳥居・正門

京都御所の南側、寺町通を歩くと、朱色の鳥居が見えてきます。

拝殿:京都市指定有形文化財

本殿

天明八年(1788年)天明の大火旧社殿が焼失した後、
寛政三年(1791年)仮皇居内侍所旧殿下賜され、移築されました。

御霊水

江戸時代明和七年(1770年)京の市中旱魃(かんばつ)に見舞われました。
当時の神主である出雲路定直が、夢のお告げで境内の一ヶ所掘らせたところ、
清らかな水湧き出て涸れることがなかったため、『感応水』と名付けられました。

現在井戸の痕跡は不明ですが、
地下水当時と同じ水脈のため、『御霊水(ごりょうすい)』と名付けられました。

垂加(すいか)社

垂加(すいか)社には、江戸時代の思想家である、
山崎闇斎(やまざきあんさい)祀られています。
その思想は、幕末の尊王思想大きな影響を与えました。

境内

下御霊神社のご朱印

平成十八年拝受:ご朱印

令和七年拝受:ご朱印

令和七年拝受:垂加社・ご朱印

神社情報

  • 住所:京都府京都市中京区寺町通丸太町下る
  • アクセス:京阪電鉄神宮丸太町駅徒歩約5分
  • HP:https://shimogoryo.main.jp/

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