東京都品川区:東京十社めぐり:品川神社(しながわじんじゃ)のご朱印

東海七福神・大黒天:富士塚(ふじづか):品川神社(しながわじんじゃ)

東京十社めぐり

東京十社めぐり

東京十社とは、明治元年(1868年)明治天皇准勅裁神社として幣帛を捧げられ
東京の鎮護万民の平安祈願された社のことです。
昭和五十年(1975年)昭和天皇御即位五十年奉祝し、
東京十社めぐりが立案されました。

芝大神宮:東京都港区
赤坂氷川神社:東京都港区
日枝神社:東京都千代田区
神田神社:東京都千代田区
白山神社:東京都文京区
根津神社:東京都文京区
王子神社:東京都北区
亀戸天神社:東京都江東区
富岡八幡宮:東京都江東区
品川神社:東京都品川区

東京十社めぐり:御朱印帳

専用の御朱印帳巡拝させて頂きました。

富士塚

富士塚

富士信仰に基づいて、富士山に模して造られた山や塚のことです。
江戸時代に始まったもので、特に関東地方の神社に多く見られます。
既に存在する丘や古墳を転用して富士山に見立てたものや、
富士山の溶岩積み上げたものがあります。
浅間神社の境内にあり、富士塚の山頂にも浅間神社奥宮が設けられています。

品川神社富士塚(品川富士)

境内には富士塚があります。

明治二年(1869年)北品川宿丸嘉講社講中三百人により造られました。
毎年七月一日に近い日曜日に、講員一同が白装束に裸足富士塚に登ります。

富士塚通年登る事が出来ます。
階段を登ると頂上まで行くことができました。

富士塚大正十一年(1922年)第一京浜国道建設の際、現在地に移築されました。

富士塚からの景色

品川神社京急新馬場駅の前にあります。
富士塚の頂上からは高架を走る電車を見下ろすことができました。

頂上はかなりの高さがあるのが分かります。

ぶじかえる

富士塚親子蛙『ぶじかえる(無事帰る)』交通安全祈願しています。

東海七福神

東海七福神

京急北品川駅から大森海岸駅までを最寄駅とし、旧東海道を歩く七福神巡りです。
昭和七年(1932年)品川が当時の東京市に編入された記念に制定されました。

品川神社:大黒天
養願寺:布袋尊
一心寺:寿老人
荏原神社:恵比寿神
天祖諏訪神社:福禄寿
磐井神社:弁財天
品川寺:毘沙門天


元旦から成人の日までの期間内にご朱印を頂く事が出来ます。

品川神社東海七福神大黒天が祀られています。

大鳥居(双龍鳥居)

大正十四年(1925年)建てられた鳥居には、
珍しく龍の彫刻があしらわれていました。

由緒

文治三年(1187年)鎌倉幕府初代将軍源頼朝が、
安房洲崎神社から海上交通安全祈願成就守護神として、
天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)勧請したのが始まりです。

元応元年(1319年)二階堂道蘊(どううん)宇賀之売命(うがのめのみこと)を、
文明十年(1478年)太田道灌素盞嗚尊(すさのおのみこと)勧請しました。

慶長五年(1600年)徳川家康関ヶ原の戦い出陣の際、戦勝祈願を行いました。

祈願成就の御礼として、『天下一嘗の面』・『神輿(葵神輿)』などが奉納されました。


寛永十四年(1637年)江戸幕府三代将軍徳川家光東海寺を建立した際、
鎮守社となりました。

その後火災の際も将軍の命で再建が行われるなど、
徳川家の厚い庇護をうけるようになりました。

明治元年(1868年)明治天皇准勅祭社と定め、
東京の鎮護万民の安寧を祈る神社の一つとなりました。

文化財

境内の宝物殿正月期間6月の例大祭11月中の土日祝の期間に開館されます。

社殿

品川神社空襲の被害を免れました。現在の社殿は老朽化の為、
昭和三十九年(1964年)再建されました。

神楽殿

浅間神社

階段を登ると左側に浅間神社があります。富士塚のそばになります。

阿那稲荷神社(あないなりじんじゃ):上社

階段下には下社があるそうです。下社には一粒万倍のご神水があるようです。

江戸・東京の農業:品川ネギとカブ

天正年間(1573年~1592年)大阪方面からの入植者によって栽培されたネギは、
品川宿周辺から広がり、『品川ネギ』として産地化しました。
また越冬用漬物として長カブ『品川カブ』栽培されました。

庖丁塚

品川宿で使い古された庖丁が納められています。

木遣り塚

祖霊社と忠魂碑

品川神社のご朱印

平成十八年拝受:ご朱印

令和三年拝受:ご朱印

令和五年拝受:ご朱印

東京十社めぐり:ご朱印

東海七福神・大黒天:ご朱印

神社情報

品川神社周辺:板垣退助墓所

明治維新の元勲:板垣退助(いたがきたいすけ)

国立国会図書館『近代日本人の肖像』より。
土佐藩士として倒幕に参加し、明治になり参議となりました。
明治六年に下野後、同じ土佐出身の後藤象二郎とともに、
『民撰議院設立建白書』を政府に提出しました。
その後自由民権運動の先頭に立ちます。大正八年(1919年)亡くなりました。

板垣退助墓所

写真右側板垣退助のお墓で、左側夫人のお墓となります。

品川神社境内を通り、社殿の裏にありました。
東海寺塔頭高源院板垣退助の菩提寺です。
関東大震災後、高源院世田谷区烏山に移転し、墓所だけが残されました。
接道の関係から品川神社を通らないと行くことができませんが、
品川神社の管理では無いという事です。

板垣退助墓所:由緒

高知市にも分骨した墓所があるそうです。

石碑:『板垣死すとも自由は死せず』

昭和四十三年(1968年)当時の内閣総理大臣佐藤栄作揮毫で建立されました。

鈴木安五郎歌碑

墓所の入口にありました。

明治維新の元勲:墓所

伊藤博文墓所:蛇窪神社周辺

蛇窪神社からは徒歩約10分程度の距離にあります。
通常は非公開で、期間限定で公開されているようです。

品川神社周辺

北品川二丁目町会:神輿

昭和三十五年(1960年)に作られた北品川二丁目町会神輿です。

北馬場参道通りを歩いていると展示されていました。

ご覧頂きましてありがとうございます。