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つつじの館林七福神めぐり・寿老尊:舘林善長寺(ぜんちょうじ)
由緒
大永三年(1523年)に館林城主の赤井但馬守家範の開基によって創建されました。
開山は大雲惟俊大和尚です。
元和九年(1623年)に榊原家第三代館林城主の松平忠次(榊原康政の孫)の生母が病没し、
善長寺に埋葬されました。

山門

善長寺門前・城沼

善長寺の門前を通る『朝陽の小径』から見た城沼です。
古写真がありました。

本堂

現在の本堂は開創五百年を期に、平成二十九年(2017年)に新築されました。

お辻・松女供養塔

お辻の方は榊原康政の側室でした。康政の寵愛を一身に集めていたお辻は、
お供の人々と共に舟遊びをしていた折に、
沼の主に見込まれて侍女・松と共に入水したという伝説が残されています。

榊原康政がその死を悼んで、お辻を弔うために沼の丘に植えられた一株のつつじが、
今日の『県立つつじヶ岡公園』の起源といわれています。

つつじの館林七福神めぐり・寿老尊

善長寺はつつじの館林七福神めぐりの一つ、寿老尊が祀られています。

祥室院殿墓所・供養塔

祥室院は下総国関宿城主の松平因幡守康元の娘です。
榊原康政の長子である大須賀忠政に嫁ぎ、榊原忠次を産みました。

忠政が病没後、徳川家康の命により、伊勢国長島城主の菅沼定芳に再嫁しましたが、
元和九年(1623年)に近江国膳所で病没しました。
館林城主であった榊原忠次は、母の墓が遠くにある事を嘆き、
菅沼家に分骨を請い、善長寺に墓石を造立しました。
観音堂

鐘楼堂

梵鐘は第二次世界大戦の際、供出されましたが、鐘楼堂は平成十五年に再建されました。

境内

創建当時の諸堂伽藍は、文政八年(1825年)に火災に遭い、全て焼失しました。
千葉周作の師杉江鉄助の墓

剣士・千葉周作の師である杉江鉄助の墓がありました。

旧本堂の紋章入り鬼瓦

善長寺の『丸に二引』の紋と、徳川家の『三葉葵』の紋が入っています。

館林善長寺のご朱印
善長寺:ご朱印

寺院情報
- 住所:群馬県館林市当郷町1975
- アクセス:東武伊勢崎線館林駅下車。
板倉東洋大前駅方面バス乗車子ども科学館バス停下車徒歩約15分
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