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結城初代城主・結城朝光公御墓所:称名寺(しょうみょうじ)

由緒
建保二年(1214年)に結城朝光が浄土真宗の宗祖・親鸞を招聘・帰依し、寺を創建しました。
嘉禄元年(1225年)に親鸞の高弟「二十四輩」のひとり真仏(しんぶつ)を招いて、
称名寺と改名し、結城氏の菩提寺としました。

その後結城家十八代の結城秀康の越前国移封まで、結城氏によって保護されました。
結城家初代・結城朝光(ゆうきともみつ)
結城朝光(ゆうきともみつ)
結城朝光墓所

初代・結城朝光から二代・朝廣、三代・廣綱、四代・時廣の墓所があります。

結城市内には称名寺とは別に結城家十六代墓所慈眼院もあります。
史蹟:大将塚

大将塚は、結城朝光が源頼朝の死後、遺髪と歯骨が納めて建立しました。
二条門

二条門は、京都の二条家より釋信覚法師を迎えた時、二条家より譲り受けました。

御霊屋門(中門)

御霊屋門は、墓所入口の御霊屋門だったことからそう呼ばれています。
本堂

親鸞聖人像

称名寺のご朱印
令和七年拝受:ご朱印

寺院情報
- 住所:茨城県結城市結城152
- アクセス:JR水戸線結城駅徒歩約13分
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結城朝光は下総結城家の初代当主で、仁安三年(1168年)に藤原秀郷を祖とする、
下野国小山の豪族・小山政光の三男として生まれました。
母は源頼朝の乳母である八田宗綱の娘・寒河尼(さむかわのあま)です。
源頼朝が烏帽子親となり、頼朝の側近として幕政に参与しました。
承久三年(1221年)の承久の乱にも東山道軍の将の一人として参戦し、
寛喜元年(1229年)に上野介に叙任、嘉禎元年(1235年)幕府の評定衆の一員となりました。
建長六年(1254年)に亡くなりました。享年八十七でした。