Contents
- 1 源頼朝ゆかりの三社詣:三嶋大社(みしまたいしゃ)
- 1.0.1 御祭神
- 1.0.2 鎌倉殿:源頼朝ゆかりの地
- 1.0.3 尼将軍:北条政子(ほうじょうまさこ)ゆかりの地
- 1.0.4 源頼朝・北条政子腰掛石
- 1.0.5 鎌倉幕府有力御家人:安達盛長ゆかりの地
- 1.0.6 相生松(安達藤九郎盛長警護の跡)
- 1.0.7 由緒
- 1.0.8 神主
- 1.0.9 大鳥居
- 1.0.10 神池
- 1.0.11 摂社:厳島神社
- 1.0.12 総門
- 1.0.13 芸能殿
- 1.0.14 神門
- 1.0.15 舞殿(ぶでん)
- 1.0.16 本殿:国指定重要文化財
- 1.0.17 天然記念物:三嶋大社の金木犀(キンモクセイ)
- 1.0.18 神馬舎
- 1.0.19 神鹿園(しんろくえん)
- 1.0.20 摂社:見目神社
- 1.0.21 伊豆魂神社(いずたまじんじゃ)
- 1.0.22 旧扁額
- 1.0.23 古今伝授のまち三島の碑
- 2 三嶋大社のご朱印
- 3 神社情報
源頼朝ゆかりの三社詣:三嶋大社(みしまたいしゃ)
御祭神
鎌倉殿:源頼朝ゆかりの地
清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、平家打倒に挙兵しました。
平家打倒を果たした後、鎌倉幕府初代将軍となりました。
三嶋大社は源頼朝から篤く崇敬され、
治承四年(1180年)八月十七日の三嶋大社の大祭の夜、源氏再興の兵を挙げ、
山木判官兼隆を討ち取りました。
尼将軍:北条政子(ほうじょうまさこ)ゆかりの地
周囲の反対を押し切り、伊豆に流罪となっていた源頼朝の妻となり、
後の鎌倉幕府将軍の源頼家、源実朝を産みました。
頼朝の死後は『尼将軍』として、鎌倉幕府を支えました。
その後源実朝の暗殺や後鳥羽上皇による承久の乱などの危機を乗り切り、
嘉禄元年(1225年)に亡くなりました。享年六十九でした。
奉納した『梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具』は国宝に指定されています。
境内には源頼朝との腰掛石があります。
源頼朝・北条政子腰掛石
治承四年五月に源頼朝が平家追討の心願を込めて、百日の日参をした折、
腰を掛けて休息したといわれています。
自由に座ることができます。
鎌倉幕府有力御家人:安達盛長ゆかりの地
源頼朝の乳母である比企尼の長女・丹後内侍(たんごのないし)を妻に持ち、
頼朝が伊豆に流人時代から仕えていました。
頼朝と北条政子の仲を取り持ったともいわれています。
平家との石橋山の戦いに敗れた後、下総国の大豪族である千葉常胤を説得し、
味方につけました。正治元年一月に頼朝が亡くなると出家し、
翌年正治二年四月に盛長も亡くなりました。享年六十六でした。
三嶋大社の相生松は『安達藤九郎盛長警護の跡』といわれています。
相生松(安達藤九郎盛長警護の跡)
治承四年(1180年)に源頼朝が源氏再興を祈願し、
百日間毎暁蛭が島より三嶋大社へ日参する際、
従者として安達藤九郎盛長が相生松で警護したと伝えられています。
由緒
創建は不詳です。
古くから三島に鎮座し、社名・神名の『三嶋』は地名になりました。
源頼朝に篤く崇敬されました。
頼朝の妻の北条政子が奉納した『梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具』は、
国宝になっています。
東海道の紀行文には必ず三嶋大社のことが記載されています。
(阿仏尼の『十六夜日記』など)
戦国時代の北条氏や、江戸幕府からも保護されていました。
神主
伊豆国造(いずのくにみやつこ・いずこくぞう)の後裔を称する矢田部氏が代々世襲しています。
嘉永七年(1854年)十一月の東海大地震で倒壊した社殿の再建に十年の歳月と、
壱万六千六百七十七両という巨費を投じたり、祇園山腹にトンネルを掘り、
上流から水を引いて荒地を美田にした功績から、
当時の神主である矢田部盛治の銅像が境内に建っていました。
昭和二十九年に建立されました。
大鳥居
神池
天長四年(827年)に神池の水が涸れ、雨乞を行ったところ、
大雨が降ったそうです。
元暦二年(1185年)八月に源頼朝は神池で放生会を行いました。
摂社:厳島神社
神池に厳島神社が祀られいます。
北条政子が勧請し、殊の外信仰したと伝えられています。
総門
昭和六年三月に竣功しました。旧総門は現在芸能殿として保存されています。
芸能殿
安政の東海大地震の復旧工事で、慶応四年二月十一日に完成した旧総門です。
昭和五年の伊豆大震災後に現在の総門が落成した為、
戦後再建し、一部改造の上、現在は芸能殿となっています。
神門
慶応三年(1867年)に竣功した総欅造りです。
舞殿(ぶでん)
慶応二年十二月十八日に再建されています。
本殿:国指定重要文化財
慶応二年九月九日に落成しました。本殿・幣殿・拝殿からなる権現造(ごんげんづくり)で、
これらを『御殿』と称しています。
見事な彫刻です。
天然記念物:三嶋大社の金木犀(キンモクセイ)
樹齢千二百年です。
神馬舎
古くから神馬は毎朝神様を乗せて箱根山に登るという伝説があります。
神馬の像があります。
神鹿園(しんろくえん)
たくさんの鹿が飼育されています。
大正時代に奈良の春日大社から譲り受けたそうです。
摂社:見目神社
慶応四年九月三日に再建されました。御祭神は三嶋大社の后神六柱が祀られています。
伊豆魂神社(いずたまじんじゃ)
伊豆国出身で西南戦争や日清日露戦争以来、
大東亜戦争に至る戦争で亡くなった英霊が祀られています。
社殿は昭和四十二年に竣功されました。
旧扁額
宝物館前に旧扁額がありました。
古今伝授のまち三島の碑
『古今伝授(こきんでんじゅ)』とは『古今和歌集』の解釈についての秘伝を、
師から弟子へ伝えるというものです。
文明三年(1471年)に三島において、
東常縁(とうのつねより)から連歌師宗祇(そうぎ)への伝授より形式化されたそうです。
三嶋大社のご朱印
源頼朝ゆかりの三社詣:御朱印帳
御朱印帳は三嶋大社で頂きました。
箱根神社・伊豆山神社と合わせて三社を詣でることを三社詣といいます。
源頼朝が始めて以来鎌倉幕府の恒例行事として、百三十年余続きました。
源頼朝の参詣以降、多くの武将が頼朝の武運にあやかろうと、
信仰の場となりました。
平成二十一年拝受:ご朱印
平成二十六年拝受:ご朱印
令和四年拝受:ご朱印
『源頼朝ゆかりの三社詣』御朱印帳に書いて頂きました。
神社情報
- 住所:静岡県三島市大宮町2-1-5
- アクセス:JR三島駅徒歩約15分・伊豆箱根鉄道駿豆線三島田町駅徒歩約7分
- HP:http://mishimataisha.or.jp/
三嶋大社周辺
問屋場跡(といやばあと)
三島は江戸時代には東海道の宿場町でした。
問屋場とは武士や公家などの公用の旅行者と荷物を宿場から宿場へ運送する際の、
継立を行う場所であり、馬や人足・駕籠かきを確保する役割でした。
三嶋大社近くの郵便局に石碑がありました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
大山祇命(おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
二柱の神を総じて三嶋大明神と称しています。