Contents
- 1 鎌倉幕府有力御家人・上総広常ゆかりの地:玉前神社(たまさきじんじゃ)
- 1.0.1 鎌倉幕府有力御家人・上総広常(かずさひろつね)ゆかりの地
- 1.0.2 上総広常顕彰碑
- 1.0.3 2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』上総広常の書状
- 1.0.4 由緒
- 1.0.5 社標と鳥居
- 1.0.6 鳥居
- 1.0.7 社殿前の鳥居
- 1.0.8 社殿
- 1.0.9 社殿由緒
- 1.0.10 御神木
- 1.0.11 さざれ石
- 1.0.12 子宝子授けいちょう
- 1.0.13 五葉松(ごようまつ)
- 1.0.14 御神水
- 1.0.15 獲錨記念碑
- 1.0.16 神楽殿
- 1.0.17 玉前神社槙の群生
- 1.0.18 はだしの道
- 1.0.19 珠琴泉(しゅきんせん)
- 1.0.20 招魂殿
- 1.0.21 末社十二社
- 1.0.22 西南戦争
- 1.0.23 征清紀念碑
- 1.0.24 芭蕉の句碑
- 1.0.25 力石
- 2 玉前神社のご朱印
- 3 神社情報
鎌倉幕府有力御家人・上総広常ゆかりの地:玉前神社(たまさきじんじゃ)
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/上総一ノ宮駅-1024x768.jpg)
上総一ノ宮駅から玉前神社へ歩く途中に古い社標がありました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/周辺にある社標-768x1024.jpg)
鎌倉幕府有力御家人・上総広常(かずさひろつね)ゆかりの地
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/2022大河ドラマ『鎌倉殿の13人』案内-1024x768.jpg)
上総広常顕彰碑
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/上総広常顕彰碑表-1-623x1024.jpg)
上総広常は三代に渡り上総国を支配した武将です。
寿永二年(1183年)七月に鎧一領と石碑に記された書状を添えて、
源頼朝の心願と東国太平を祈願しました。
鎧と書状は戦国期の戦乱で焼失しました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/上総広常顕彰碑裏-615x1024.jpg)
源頼朝により謀反の疑念と生来の傲慢さが不興を買い、
寿永二年十二月に頼朝の命を受けた梶原景時に謀殺されました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/上総広常顕彰碑由緒-1-1024x773.jpg)
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』上総広常の書状
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/上総広常の書状-1024x860.jpg)
大河ドラマの撮影に使われた書状です。
鎌倉の大河ドラマ館で展示されていました。
由緒
永禄年間(1558年~1570年)の戦火で社殿や古記録が焼失したため、
創建年代は不明です。
鎌倉時代には上総国一之宮としての格式を保っており、
北条氏・里見氏の天正の変で社殿が罹災するも、
天正十年(1582年)に里見義頼によって再建されたと伝えられています。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/由緒-3-1024x768.jpg)
社標と鳥居
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/鳥居と社標-1024x768.jpg)
まずは朱色の鳥居をくぐり、境内に入ります。
鳥居
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/鳥居-4-1024x733.jpg)
朱色の鳥居の先に石造りの鳥居があります。
社殿前の鳥居
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/鳥居2-1024x768.jpg)
社殿前にはもう一つ朱色の鳥居があります。
社殿
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/社殿3-1024x623.jpg)
社殿は江戸時代の貞享四年(1687年)に造営された珍しい黒漆塗りの権現造です。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/社殿2-3-1024x623.jpg)
社殿由緒
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/社殿由緒-scaled-e1679623014397-1024x646.jpg)
御神木
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/御神木-2-768x1024.jpg)
御神木の「いす」は「なんじゃもんじゃ」とも呼ばれるまんさく科いすの樹です。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/御神木案内-1-1024x777.jpg)
さざれ石
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/さざれ石-1024x768.jpg)
子宝子授けいちょう
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/子宝子授けいちょう-1024x736.jpg)
雄株(おかぶ:右)と雌株(めかぶ:左)の間に実生の子どもいちょうが育っています。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/子宝子授けいちょう案内-scaled-e1679623037388-1024x791.jpg)
五葉松(ごようまつ)
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/五葉松-1024x644.jpg)
樹齢は推定百五十年です。
五葉の松葉と、枝が四方に大きく広がった四方正面の姿やうねった形の幹が特徴です。
冬でも青々とした葉をつけることから『不老長寿の象徴』となっています。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/五葉松案内-768x1024.jpg)
御神水
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/御神水-1024x697.jpg)
古くから御神水が湧き出ていたようです。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/御神水案内-1024x761.jpg)
獲錨記念碑
明治の末、九十九里浜の海に沈んでいて、度々漁網に被害を及ぼしていた錨(いかり)が、
漁師の網に掛かり引き揚げられました。漁師達は神社のお陰と喜び、
網主が東郷平八郎海軍大将に篆額(てんがく:石碑の上部に書かれた題字)頂き、
その錨とともに碑が建てられました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/獲錨記念碑案内-1024x768.jpg)
神楽殿
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/神楽殿-2-1024x768.jpg)
玉前神社上総総神楽は千葉県の無形民俗文化財に指定されています。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/上総神楽案内-1024x845.jpg)
玉前神社槙の群生
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/玉前神社槙の群生と上総広常顕彰碑-1024x768.jpg)
槙は九十九里海岸平野の気候風土に適しているそうで、
一宮町の特産です。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/玉前神社槙の群生案内-1024x768.jpg)
はだしの道
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/はだしの道-1024x768.jpg)
はだしで三周歩く事で気を満たすことができるそうです。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/はだしの道案内-scaled-e1679623070269-1024x632.jpg)
珠琴泉(しゅきんせん)
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/珠琴泉-1024x820.jpg)
水琴窟(すいきんくつ)を「玉前神社・珠琴泉」と名付けられました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/珠琴泉案内-768x1024.jpg)
招魂殿
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/招魂殿-1024x706.jpg)
大正十二年に建立されました。日清・日露戦争以降第二次世界大戦までの、
一宮出身の戦没者がお祀りされています。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/招魂殿由緒-1024x768.jpg)
末社十二社
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/末社十二神社社殿-1024x804.jpg)
一宮町内に昔から祀られていた神々が、明治初年に政府の命により玉前神社に合祀され、
十二神社として現在に至りました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/末社十二神社由緒-744x1024.jpg)
平成六年に社殿が改修されました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/末社十二神社鳥居-1024x768.jpg)
西南戦争
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/西南戦争紀念碑2-890x1024.jpg)
西南戦争に政府軍の一員として参戦した、現在の長生郡の十六名の戦没兵を顕彰した碑で、
明治十一年に建立されました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/西南戦争紀念碑由緒-1024x768.jpg)
征清紀念碑
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/征清紀念碑-667x1024.jpg)
明治二十七年に始まった日清戦争で戦死した二十二名の戦没者を顕彰した碑です。
明治二十八年に建立されました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/征清紀念碑由緒-scaled-e1679622984180-1024x825.jpg)
芭蕉の句碑
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/芭蕉句碑-768x1024.jpg)
元禄元年(1688年)秋冬頃の句で、仁徳天皇の聖徳を称えたものです。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/芭蕉句碑案内-1024x621.jpg)
力石
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/力石-1-768x1024.jpg)
横綱太刀山(当時関脇)一行が一宮を巡業した折、八十五貫(約319㎏)と言われるこの石を、
幕内の若さくらが軽々と持ち上げたと伝えられています。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/力石案内-1-1024x752.jpg)
玉前神社のご朱印
玉前神社:御朱印帳
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/玉前神社ご朱印帳表.jpg)
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/玉前神社ご朱印帳裏.jpg)
平成十九年拝受:玉前神社・ご朱印
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/05/玉前神社ご朱印2.jpg)
玉前神社:九月限定・ご朱印
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/玉前神社9月限定ご朱印.jpg)
授与品案内
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/授与品案内-601x1024.jpg)
『波乗守』はサーファーの安全だけでなく人生の荒波に耐え、
開運の波に乗れるお守りです。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/ご朱印とお守り等案内-805x1024.jpg)
神社情報
- 住所:千葉県長生郡一宮町一宮3048
- アクセス:JR上総一ノ宮駅徒歩6分
- HP:https://tamasaki.org/index.htm
玉前神社周辺
タカラ鮮魚
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/タカラ鮮魚-1024x768.jpg)
遅めの昼食は上総一ノ宮駅前の魚料理「タカラ鮮魚」で頂きました。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/03/お刺身定食松-1024x768.jpg)
お刺身定食松を頂きました。新鮮な海の幸は美味でした。
ご覧頂きましてありがとうございます。
上総権介平常澄(たいらのつねずみ)の八男です。
房総平氏惣領家の頭首として、
治承四年(1180年)に平家打倒の兵を挙げた源頼朝の挙兵に参戦しました。
千葉常胤とは又従兄弟にあたります。
寿永二年(1183年)に謀反の企てがあると頼朝に疑われた広常は、
頼朝の命を受けた梶原景時に鎌倉の御所内で殺害されました。
(上総広常には謀反の意思は無かったといわれています)