埼玉県行田市:全国東照宮めぐり:忍東照宮・諏訪神社のご朱印

忍城諏訪曲輪跡:忍東照宮(おしとうしょうぐう)・諏訪神社

忍城のそばに忍東照宮・諏訪神社があります。

道路を挟んだ諏訪神社より忍城の鐘が見えます。

忍城俯瞰図

赤色で現在地と記されているのが諏訪神社がかつてあった場所のようです。

全国東照宮めぐり

全国東照宮めぐり

昭和四十年(1965年)に全国の徳川家康公を奉斎する神社で、
全国東照宮連合会』が結成されました。
平成二十七年徳川家康没後四百年忌御朱印帳が作成されました。
全国東照宮めぐり』は現在加盟している四十七社を巡るものです。

全国東照宮めぐり:御朱印帳

御朱印帳日光東照宮で頂きました。

諏訪神社由緒

後鳥羽天皇建久の時代(1190年頃)忍三郎・忍五郎家時等の一族が、
館や塁等を築き居住した頃に鎮座した言い伝えられています。

延徳三年(1491年)成田親泰忍城築城した際、
諏訪社城鎮守にしたと伝えられています。

諏訪神社:鳥居

諏訪神社:社殿

正保二年(1645年)忍城主阿部忠秋本殿を造営し、
寛文十二年(1672年)拝殿建立されました。

現在の社殿昭和三十六年に造営されました。

忍東照宮由緒

東照宮徳川家康娘・亀姫父の肖像を頂き、
後に子の松平忠明に伝わり、寛永二年(1625年)大和郡山城内社殿が造営され、
肖像が安置されました。

文政六年(1823年)松平忠堯(まつだいらただたか)は、
伊勢桑名藩から移封するにあたり、
城内字下荒井の地へ東照宮勧請されました。

慶応四年(1868年)鳥羽伏見の戦いの際、大坂蔵屋敷内の東照宮合祀されました。

明治七年(1873年)下荒井の地から、諏訪神社境内に移され、
明治三十三年には藩祖松平忠明配祀されました。

忍東照宮所蔵家康公肖像画厄除に御神意ありと伝えられています。

忍東照宮:社殿

現在の拝殿昭和五年に造営されました。

平成三十年二月参拝時:社殿

平成三十年二月の参拝時には、境内には雪が残っていました。

多度社(たどしゃ)・一目蓮社(いちもくれんしゃ)

文政六年(1823年)松平忠堯伊勢桑名藩から移封するにあたり、
伊勢国多度山より忍城内に勧請されました。
明治六年(1872年)城郭取り壊しの際、現在地に遷座されました。

例祭(五月五日)には神楽殿能が演じられたといいます。
忍藩は『忍宝生』の名があり、宝生流の能盛んだったそうです。

二の丸稲荷社

二の丸稲荷社忍城二の丸に祀ってありました。
明治六年(1872年)諏訪神社境内に遷座されました。

一説には永禄年間(1560年頃)忍城主成田長泰が、
見返曲輪(みかえりくるわ:後の二の丸曲輪)内に、
若い時に殺生した狐(きつね)の親子を祀ったものともいわれています。

諏訪の大木

明治六年(1872年)忍城取り壊しの際、忍城の松・杉の大木次々と伐採されました。
諏訪神社拝殿近くまで伐採が及んだ時、
切っていた杉の木から赤い生血のようなものが流れ、
人夫はこれ以上伐採できなくなったという、
諏訪の森が御神木となった逸話があります。

忍東照宮・諏訪神社のご朱印

平成三十年拝受:忍東照宮・諏訪神社:ご朱印

令和四年拝受:のぼうの城:ご朱印

令和四年拝受:上杉謙信・石田三成の猛攻に耐えた城:ご朱印

神社情報

  • 住所:埼玉県行田市本丸12-5
  • アクセス:秩父鉄道行田市駅徒歩15分
         高崎線吹上駅下車行田折返し場行きバス乗車忍城バス停下車徒歩1分

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