石橋山古戦場:せき・のど・ぜんそくの祈願所:佐奈田霊社(さなだれいしゃ)
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとよりとも)
石橋山古戦場
平家打倒の挙兵をした源頼朝は石橋山で300余騎を従え、
平家方の大庭景親(おおばかげちか)の軍勢3,000余騎と、
後方に伊東祐親の300余騎と戦いましたが、破れました。
頼朝は箱根山中に逃れた後、真鶴から海路安房(千葉県)へ向かいました。
由緒
石橋山の戦いでは相模の名族である三浦党の岡崎義実(おかざきよしざね)や、
その子の佐奈田与一義忠も参陣しました。
佐奈田与一は15騎で大庭景親の弟、俣野五郎景久の75騎と戦いました。
両将組討ちとなり景久を組み伏せましたが、付いた血が固まり刀がさやから抜けず、
与一は駆けつけた敵によって討たれました。25歳でした。
与一の郎党、文三家安は、主の討死を聞き、群がる敵中に飛び入り、
主人の後を追い討死しました。
討死の地には与一塚が建てられ、与一を祭神とする佐奈田霊社が祀られました。
与一塚
本堂
源頼朝は建久元年(1190年)に伊豆山権現(伊豆山神社)に参詣の帰り、
佐奈田与一と文三家安の墓を訪れ、落涙したと吾妻鏡には記されています。
せき・のど・ぜんそくの祈願所
佐奈田霊社はせき・のど・ぜんそくの祈願所です。
佐奈田飴と御霊符を頂きました。
ねじり畑(佐奈田与一義忠討死の地)
佐奈田与一義忠の討死の地は『ねじり畑』と呼ばれ、組討ちした場所といわれています。
このためかこの畑の作物はすべてねじれてしまうとも伝えられています。
観音堂
明星観世音菩薩を中心に十二支御守本尊が配置されています。
文三堂(ぶんぞうどう)
佐奈田霊社の南方の丘の上には文三堂があります。
与一塚と文三堂:由緒
佐奈田霊社のご朱印
佐奈田霊社:ご朱印
石橋山の戦いの合戦印
石橋山の戦い:合戦印
小田原市観光交流センターで購入しました。小田原城の目の前にあります。
佐奈田霊社情報
- 住所:神奈川県小田原市石橋420
- アクセス:JR早川駅より徒歩約31分
JR小田原駅よりレンタサイクルにて佐奈田霊社に向かいました。
自転車で約23分の道のりです。
佐奈田霊社周辺
みかん畑
佐奈田霊社へ向かう山道にはみかん畑がありました。
佐奈田霊社からの眺め
天気にも恵まれ、良い眺めでした。東海道本線の線路が走っています。
さかな料理:魚虎(うおとら)
住職様からのお勧めで、昼食は小田原市早川にある『魚虎』で頂きました。
上刺身定食を美味しく頂きました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国に独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)に相模川の橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳で亡くなりました。