御祭神・武田信玄:躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた):武田氏館跡・武田神社
武田氏館(たけだしやかたあと):躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)
武田氏館は、武田信虎(のぶとら)・晴信(信玄)・勝頼(かつより)が居住し、
政治を行った戦国大名武田氏の館跡です。
武田氏館配置図
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由緒
武田信虎は永正十六年(1519年)から館の建設を開始し、
石和館(いさわやかた)より居を移しました。
信虎は館周辺に家臣等を移住させ、一国を統治する新たな支配体制を確立しました。
武田晴信(信玄)の時代には、西曲輪・味噌曲輪・稲荷曲輪が増設され、
勝頼の時代には館機能の拡充が進み、全国最大級を誇る戦国大名の居館となりました。
天正九年(1581年)に館は廃棄され、韮崎の新府(しんぷ)に移りますが、
天正十年(1582年)に武田氏が滅亡すると、織田・徳川・豊臣の各氏は、
再び甲府を拠点に定め、館を再利用し、天守台や梅翁曲輪(ばいおうくるわ)が築かれました。
現在残る館跡には、豊臣氏時代の加藤光泰の改修による遺構が多いと推定されます。
文禄二年(1593年)に躑躅ヶ崎館は廃城となりました。
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主郭(しゅかく)
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主郭は当主の住まい兼政庁で、信虎が造営し、晴信(信玄)・勝頼が使用しました。
現在は武田神社の社殿・境内があります。
主郭の石垣
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武田神社の参道として利用されている南側の出入口は、
神社が創建されるまでは土塁が続いていました。
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![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/06/石垣-1024x768.jpg)
大手門跡
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東側に大手門跡があります。
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周囲には堀と土塁が残っています。
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大手門の周辺には大手石塁や土塁があります。
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大手跡
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現在復元されている大手石塁は、武田氏滅亡後に築かれたものです。
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石塁の下からは三日月堀が確認され、
その内側には丸馬出と呼ばれる防御施設が設けられていました。
西曲輪(にしくるわ)
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天文二十年(1551年)には武田晴信の嫡男の義信の婚姻に際し、増築されました。
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西曲輪との橋から南側に堀が見えます。
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信玄公御使用井戸
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躑躅ヶ崎館の中心部に掘られた井戸です。
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姫の井戸のお水
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『姫の井戸』は武田信玄の息女誕生の折、産湯に使用した故事に因り、
その名がつけられました。
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野生動物の姿も
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2023/06/野生の動物2-1024x768.jpg)
土塁の下にシカらしき野生動物の姿を見ることができました。
武田氏館跡の御城印
武田氏館跡:御城印
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御城印はかつて武田氏の一族でもある穴山信君(あなやまのぶただ)屋敷跡に建っている、
武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)で頂く事が出来ます。
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武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)は武田神社の鳥居前にあります。
武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)情報
- 住所:山梨県甲府市大手3-1-14
- アクセス:JR甲府駅下車「武田神社行き」もしくは「積翠寺行き」バス乗車、
武田神社バス停下車すぐ
武田神社
由緒
甲府城の築城後、躑躅ヶ崎館(武田氏館)は廃城となりました。
主郭には民の手により『武田法性宮(たけだほっしょうぐう)』の名でお祀りされていました。
武田信玄は現在も、山梨県民こぞって『信玄さん』『信玄公』と呼び親しまれています。
大正四年(1915年)に大正天皇の即位に際し、
武田信玄に従三位(じゅさんみ)が追贈されたのを契機に、
山梨県民に武田神社創建の気運が高まり、大正八年(1919年)に社殿が竣功されました。
四月十二日の命日には例祭が奉斎されます。
武田神社境内図
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神橋と鳥居
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躑躅ヶ崎館の堀を朱色の神橋で渡ります。
石垣の間に鳥居がありますが、神社の創建までは土塁が続いていました。
手水舎
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躑躅ヶ崎館の主郭の庭園に当たる部分に手水舎があります。
武田家の家紋の『武田菱』が屋根についています。
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社殿
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社殿は大正八年(1919年)に完成しました。
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武田菱手水
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家紋武田菱の手水舎があります。
奉納盃
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奉納日本酒とともに、「武田二十四将」と書かれた奉納盃がありました。
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大絵馬とともに「風林火山」と書かれた奉納盃もありました。
神楽殿:甲陽武能殿(こうようぶのうでん)
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平成十八年(2006年)に竣工されました。
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奇木『三葉の松』
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高野山より武田信玄を慕い、種子が飛来したと伝えられています。
全国でも珍しく黄金色になり落葉することから、『金運』の御利益があるといわれています。
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太宰治の愛でた桜
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作家の太宰治は武田神社の例祭と境内の桜について、
『春昼(しゅんちゅう)』という作品に残しています。
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甲府は太宰治が昭和十四年一月より約八ヶ月の間、
妻・美和子と新婚時代を過ごした地で、
『富嶽百景』『女生徒』『新樹の言葉』などの作品を残しました。
武田神社のご朱印
平成二十年拝受:ご朱印
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令和三年拝受:武田信玄公座り姿・ご朱印
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武田神社のご朱印
- 住所:山梨県甲府市古府中町2611
- アクセス:JR甲府駅下車「武田神社行き」もしくは「積翠寺行き」バス乗車、
武田神社バス停下車すぐ - HP:http://www.takedajinja.or.jp/
武田信玄公銅像・武田信虎像
武田信玄公銅像
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甲府駅南口には高さ3.1メートルの武田信玄公の銅像が建っています。
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武田信虎公銅像
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甲府駅北口のよっちゃばれ広場には、甲府開府五百年を記念して、
高さ2.1メートルの武田信虎公の銅像が建っています。
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旧堀田古城園(旧堀田家住宅):国登録有形文化財
武田氏館跡前に旧堀田古城園という国登録有形文化財があります。
木戸門
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由緒
旧堀田古城園は、昭和八年(1933年)に料亭旅館として開業されました。
昭和初期の近代和風建築の様式で、建具やガラスなども当時のまま残されています。
旅館は昭和四十六年(1971年)に廃業し、以後は堀田家の住宅として利用されてきました。
平成二十七年に甲府市に寄付され、
平成三十年に大規模な修繕を終えて一般公開されています。
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主屋
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主屋は大広間が廊下を囲む造りとなっていて、
昭和初期の山梨県内の和風建築の特徴を伝えています。
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茶室
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離れの1棟は菱形の建物で茶室として改修されています。
武田神社周辺
甘利備前守虎泰屋敷跡
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春日虎綱(高坂弾正)屋敷跡
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ご覧頂きましてありがとうございます。