神奈川県小田原市:源頼朝ゆかりの地:佐奈田霊社のご朱印

石橋山古戦場:せき・のど・ぜんそくの祈願所:佐奈田霊社(さなだれいしゃ)

鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとよりとも)

源頼朝

清和源氏の嫡流である河内源氏源義朝三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)相模川橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳亡くなりました。

石橋山古戦場

平家打倒の挙兵をした源頼朝石橋山300余騎を従え、
平家方大庭景親(おおばかげちか)の軍勢3,000余騎と、
後方に伊東祐親300余騎と戦いましたが、破れました。

頼朝は箱根山中に逃れた後、真鶴から海路安房(千葉県)へ向かいました。

由緒

石橋山の戦いでは相模の名族である三浦党岡崎義実(おかざきよしざね)や、
その子の佐奈田与一義忠参陣しました。

佐奈田与一15騎大庭景親俣野五郎景久75騎と戦いました。
両将組討ちとなり景久を組み伏せましたが、付いた血が固まり刀がさやから抜けず
与一駆けつけた敵によって討たれました。25歳でした。

与一の郎党、文三家安は、主の討死を聞き、群がる敵中に飛び入り、
主人の後を追い討死しました。

討死の地には与一塚が建てられ、与一を祭神とする佐奈田霊社祀られました。

与一塚

本堂

源頼朝建久元年(1190年)伊豆山権現(伊豆山神社)に参詣の帰り、
佐奈田与一文三家安墓を訪れ落涙したと吾妻鏡には記されています。

せき・のど・ぜんそくの祈願所

佐奈田霊社はせき・のど・ぜんそく祈願所です。
佐奈田飴御霊符を頂きました。

ねじり畑(佐奈田与一義忠討死の地)

佐奈田与一義忠討死の地『ねじり畑』と呼ばれ、組討ちした場所といわれています。
このためかこの畑の作物すべてねじれてしまうとも伝えられています。

観音堂

明星観世音菩薩を中心に十二支御守本尊配置されています。

文三堂(ぶんぞうどう)

佐奈田霊社の南方の丘の上には文三堂があります。

与一塚と文三堂:由緒

佐奈田霊社のご朱印

佐奈田霊社:ご朱印

石橋山の戦いの合戦印

石橋山の戦い:合戦印

小田原市観光交流センターで購入しました。小田原城の目の前にあります。

佐奈田霊社情報

  • 住所:神奈川県小田原市石橋420
  • アクセス:JR早川駅より徒歩約31分

JR小田原駅よりレンタサイクルにて佐奈田霊社に向かいました。
自転車約23分の道のりです。

佐奈田霊社周辺

みかん畑

佐奈田霊社へ向かう山道にはみかん畑がありました。

佐奈田霊社からの眺め

天気にも恵まれ、良い眺めでした。東海道本線の線路が走っています。

さかな料理:魚虎(うおとら)

住職様からのお勧めで、昼食は小田原市早川にある『魚虎』で頂きました。

上刺身定食を美味しく頂きました。

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