神奈川県鎌倉市:源頼朝ゆかりの地:佐助稲荷神社のご朱印

畠山重忠ゆかりの地:出世稲荷:佐助稲荷神社(さすけいなりじんじゃ)

鎌倉幕府初代将軍:源頼朝ゆかりの地

源頼朝

清和源氏の嫡流である河内源氏源義朝三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)相模川橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳亡くなりました。

伊豆に配流された源頼朝の夢に、稲荷神老翁が現れ、平家打倒を促した故事があります。

鎌倉幕府有力御家人:畠山重忠ゆかりの地

畠山重忠(はたけやましげただ)

畠山氏坂東八平氏の一つである秩父氏一族です。
畠山重忠源頼朝の挙兵の際、最初は平家方として頼朝討伐に参加しましたが、
その後頼朝に帰伏しました。
鎌倉幕府の有力御家人として、『鎌倉武士の鑑』とも称されました。
しかし北条時政謀略により、北条義時率いる大軍に滅ぼされました(畠山重忠の乱)

源頼朝の命で、畠山重忠社殿を建立しました。

由緒

伊豆に配流されていた源頼朝の夢に『かくれ里の稲荷』と名乗る稲荷神老翁が現れ、
平家打倒挙兵を促しました。

建久年間(1190年~1199年)源頼朝畠山重忠に命じて、
『かくれ里の祠』探し当て稲荷神社再建させたといわれています。

頼朝の若い頃、兵衛佐(ひょうえのすけ)であったので佐殿(すけどの)と呼ばれ、
佐殿を助けたことから『佐助稲荷神社』と言われているそうです。

延文四年(1359年)初代鎌倉公方足利基氏凶徒退治祈祷を、
『佐介稲荷社別当三位僧都御房』命じたという記録が残っています。

また応永二十五年(1418年)関東管領上杉憲実鶴岡八幡宮供僧(ぐそう)に対して、
佐助稲荷神社別当職社領安堵しています。

佐助稲荷神社への道のり

銭洗弁財天から佐助稲荷神社へ向かいました。

行き止まり表示がありますので気をつけて下さい。

左側の階段を下りて佐助稲荷神社へ向かいました。

下拝所

鳥居の側に下拝所がありました。
本殿へは階段を登りますので、参拝が難しい方に向けだそうです。

鳥居

緑豊かな周囲の中で赤い鳥居が綺麗に並んでいます。

参道階段

拝殿

令和元年十二月拝殿改築されました。

本殿前の階段

拝殿裏に本殿へ上る階段があります。
鳥居の奥に本殿が見えます。

明治二十八年本殿再建されました。

本殿への道

『お塚』と呼ばれる場所だそうです。白い狐が奉納されています。

本殿鳥居

霊狐水(れいこせん)

社務所の奥『霊狐水』という湧水がありました。

稲荷山湧水だそうです。

縁結び:十一面観音菩薩

木造十一面観音菩薩は、江戸時代足柄郡尼寺から佐助稲荷神社に安置されました。

良縁に薄く諦めて仏門に入った赤松幸運という美しい姫君が、
この世の男女に良縁があるよう祈願して彫られたと伝えられています。
毎年五月十八日御開帳があります。
(宮司般若心経観音経読経されるそうです)

佐助稲荷神社のご朱印

佐助稲荷神社:ご朱印

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』畠山重忠ゆかりの地:記念ご朱印

十一面観世音菩薩:ご朱印

神社情報

  • 住所:神奈川県鎌倉市佐助2-22-12
  • TEL:0467-22-4711
  • アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩約20分
  • HP:https://sasukeinari.jp/

佐助稲荷神社周辺

蓮華寺跡

蓮華寺はかつて鎌倉幕府四代執権北条経時が、
然阿良忠(ねんなりょうちゅう)開山に迎えて仁治元年(1240年)創建しましたが、
寛元元年(1243年)材木座遷し寺号光明寺改めたといわれています。

鎌倉青年團:蓮華寺址碑

佐助保育園の前に石碑があります。

諏訪神社(鎌倉商工会議所横)

市役所通りに面して、鎌倉商工会議所の横に諏訪神社がありました。

諏訪氏屋敷神であったともいわれています。

鎌倉駅西口市役所前交差点には『諏訪神社参道』と書かれた石碑がありました。

ご覧頂きましてありがとうございます。