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尾崎紅葉『金色夜叉(こんじきやしゃ)』:お宮の松・貫一お宮の像
熱海駅前:熱海軽便鉄道7機関車
熱海駅前には『熱海軽便鉄道7機関車』が展示されています。
熱海軽便鉄道は明治四十年から大正十二年まで、
熱海~小田原間の二十五キロメートルを、二時間四十分かけて走っていました。
現在は東海道本線で25分、新幹線で10分で結ばれています。
熱海軽便鉄道は関東大震災により廃止されました。
廃止後、国鉄鷹取工場内に標本車として展示されていたものを、
熱海市が払い下げをうけて修復し、展示されました。
お宮の松
お宮の松
お宮の松は尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に由来し、命名されました。
お宮の松:由緒
松は江戸時代前期(1645年頃)に「知恵伊豆」と呼ばれた江戸幕府老中の松平伊豆守信綱が、
伊豆を巡視した際に植えさせた松の一本といわれています。
その姿の美しさから「羽衣の松」と呼ばれていました。
明治三十年(1897年)から読売新聞に連載された「金色夜叉」で、
熱海海岸の場が登場した事から人気を集め、
熱海温泉の人気は不動のものとなりました。
昭和二十四年(1949年)のキティ台風により道路が崩壊し、
拡幅工事による交通量の増大による排気ガス等により、初代「お宮の松」は枯れだしました。
樹齢はおよそ三百年でした。
現在のお宮の松は昭和四十一年(1966年)に現在の地に移植された二代目です。
初代「お宮の松」
初代の「お宮の松」の切り株も展示されていました。
貫一・お宮の像
貫一・お宮の像
尾崎紅葉の「金色夜叉」のヒロイン鴫沢宮(しぎさわみや)と、
間貫一(はざまかんいち)の銅像です。昭和六十一年一月十七日に寄贈されました。
二人の心のすれ違い、愛情、悲しみが詰まった象徴的な場面が再現されています。
『決して暴力を肯定したり助長したりするものではない』ことが説明されています。
金色夜叉の碑
大正八年(1919年)に熱海に別荘を持っていた『煙草王』の村井吉兵衛や、
土地の有志によって建てられました。
尾崎紅葉の門弟の小栗風葉(おぐりふうよう)の句、
『宮に似たうしろ姿や春の月』が刻まれています。
尾崎紅葉の碑
一月十七日の貫一・お宮の別離の日は記念日と定められ、
熱海市では毎年尾崎紅葉祭が開催されます。
尾崎紅葉は胃がんのため、明治三十六年(1903年)に三十五歳の若さで亡くなりました。
お宮の松・貫一お宮の像・金色夜叉の碑・尾崎紅葉の碑:周辺
熱海サンビーチ
お宮の松、貫一お宮の像などは熱海サンビーチの前にあります。
熱海城(あたみじょう)
海岸からは熱海城(公式HP:http://atamijyo.com/)を見ることができます。
過去に城郭が建築されていた歴史は無く、展望台やトリックアートが展示されています。
お宮の松・貫一お宮の像・金色夜叉の碑・尾崎紅葉の碑情報
- 住所:静岡県熱海市東海岸町15-45
- アクセス:JR熱海駅徒歩10分
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