【史跡・墓所訪問】静岡県伊豆市:鎌倉幕府有力御家人・安達藤九郎盛長の墓

安達藤九郎盛長の墓所

安達盛長(あだちもりなが)

安達盛長

源頼朝乳母である比企尼長女丹後内侍(たんごのないし)に持ち、
頼朝が伊豆に流されていた時代から仕えていました。
頼朝北条政子仲を取り持ったともいわれています。
平家との石橋山の戦い敗れた後下総国の大豪族である千葉常胤説得し、
味方につけました。正治元年一月頼朝が亡くなると出家し、
翌年正治二年四月盛長自身も亡くなりました。享年六十六でした。

源頼朝側近として、治承四年(1180年)源頼朝源氏再興祈願し、
百日間毎暁蛭が島より三嶋大社日参する際、
従者として安達藤九郎盛長相生松警護したと伝えられています。

安達藤九郎盛長の墓

修禅寺から坂を登り、桂谷トンネル出口のバイパスを渡ると、
駐車場墓所はあります。

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以前は源範頼の墓のそばにあったそうですが、道路工事に伴い、
現在の場所に移されました。

安達藤九郎盛長の墓情報

  • 住所:静岡県伊豆市修善寺964
  • アクセス:伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅戸田行バス乗車寺山口バス停下車徒歩約8分
         ※墓所のそばには数台が駐車できる駐車場があります。

安達藤九郎盛長の墓周辺

桂谷八十八ヶ所

昭和五年修禅寺三十八世丘球学大和尚四国八十八ヶ所の土を埋め
仙台石弘法大師像を彫り、一から八十八番と番外一基、計八十九基を建立しました。

四国八十八ヶ所巡拝同じ功徳があるそうです。
安達藤九郎盛長の墓のそばには、
第七番阿弥陀如来』と『第八番千手観世音菩薩』がありました。

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