Contents
- 1 小江戸川越七福神めぐり・大黒天:川越大師:江戸城の遺構:喜多院(きたいん)
- 1.0.1 関東三十六不動霊場
- 1.0.2 小江戸川越七福神めぐり
- 1.0.3 小江戸川越七福神・大黒天
- 1.0.4 由緒
- 1.0.5 国指定重要文化財:山門
- 1.0.6 番所
- 1.0.7 国指定重要文化財:鐘楼門
- 1.0.8 国指定重要文化財:慈恵堂
- 1.0.9 国指定重要文化財:慈眼堂
- 1.0.10 多宝塔
- 1.0.11 白山権現
- 1.0.12 国指定重要文化財:庫裡・客殿・書院
- 1.0.13 庭園
- 1.0.14 曲水の庭
- 1.0.15 歴代住職墓所
- 1.0.16 川越城主・松平大和守家廟所
- 1.0.17 五百羅漢
- 1.0.18 個性豊かな五百羅漢
- 1.0.19 天海大僧正像
- 1.0.20 明星社と明星杉
- 1.0.21 どろぼうばし
- 2 喜多院のご朱印
- 3 寺院情報
小江戸川越七福神めぐり・大黒天:川越大師:江戸城の遺構:喜多院(きたいん)
関東三十六不動霊場
霊場専用の納経帳で巡拝しました。
小江戸川越七福神めぐり
昭和六十一年に小江戸川越七福神霊場会が発足しました。
全行程六㎞で、徒歩でも半日で廻ることができます。
第一番:毘沙門天:妙善寺(みょうぜんじ)
第二番:寿老人:天然寺(てんねんじ)
第三番:大黒天:喜多院(きたいん)
第四番:恵比須天:成田山川越別院(なりたさんかわごえべついん)
第五番:福禄寿神:蓮馨寺(れんけいじ)
第六番:布袋尊:見立寺(けんりゅうじ)
第七番:弁財天:妙昌寺(みょうしょうじ)
ご朱印は通年頂く事ができます。
小江戸川越七福神めぐりHP:https://www.kawagoe.com/7fukujin/index.html
小江戸川越七福神・大黒天
由緒
平安時代に淳和天皇の勅願によって、天長七年(830年)に慈覚大師円仁により創建されました。
元久二年(1205年)に兵火で炎上し、永仁四年(1296年)に伏見天皇が尊海僧正に再興を命じ、
その際、慈恵大師(元三大師)を祀られました。
尊海僧正はまず仏地院(中院)を再建し、その後仏蔵院(北院)、多聞院(南院)を建立しました。
戦国時代の天文六年(1537年)に北条氏と扇谷上杉氏との合戦で炎上しました。
慶長四年(1599年)に天海僧正(慈眼大師)が住職として入寺し、名を喜多院と改めました。
寛永十五年(1638年)の川越大火で山門を除き堂宇は全て焼失しましたが、
江戸幕府三代将軍の徳川家光の命により、江戸城紅葉山御殿の一部を移築し、
客殿・書院としました。
現在も喜多院には『家光誕生の間』、『春日局化粧の間』があります。
明治維新の神仏分離令までは、
東照宮(仙波東照宮)、日枝神社(川越仙波日枝神社)も喜多院の管理でした。
後奈良天皇より『星野山(せいやさん)』の勅額を賜りました。
国指定重要文化財:山門
天海僧正が寛永九年(1632年)に建立したもので、寛永十五年の川越大火を免れた、
喜多院最古の建造物です。
番所
山門のそばに建っています。
国指定重要文化財:鐘楼門
江戸時代の喜多院の寺域は現在より相当広く、
当時鐘楼門は喜多院境内のほぼ中央にあり、慈眼堂へ向かう参道の門と位置づけられます。
上層にある銅鐘を撞いて時を報せ、僧たちの日々の勤行を導いたといわれています。
国指定重要文化財:慈恵堂
正保二年(1645年)に建立されました。慈眼大師(天海僧正)が祀られています。
喜多院の本堂にあたります。
国指定重要文化財:慈眼堂
正保二年(1645年)に徳川家光の命によって御影堂が建てられ、
厨子に入った天海僧正の木像が安置されたのが慈眼堂です。
多宝塔
寛永十六年(1639年)に完成しました。元々白山神社と日枝神社の間にありましたが、
明治四十五年に道路新設のために慈恵堂脇に移築されましたが、
昭和四十七年より復元のため解体され、昭和五十年に現在地に完成しました。
白山権現
天長七年(830年)に慈覚大師円仁が喜多院を創建した時に、
天台宗修験道の霊場である白山より神仏の分霊を祀ったと伝えられています。
道路を挟んで日枝神社(川越仙波日枝神社)があります。
国指定重要文化財:庫裡・客殿・書院
江戸城紅葉山御殿の別殿を移築したものです。
庭園
曲水の庭
小堀遠州流の庭園です。枯山水書院式平庭です。
歴代住職墓所
左側に暦応の古碑があります。
暦応(りゃくおう)の銘のある板石塔婆で、上部に弥陀の種子キリークを刻し、
下半部に五十二名にのぼる喜多院の歴代住職の名が刻まれているそうです。
川越城主・松平大和守家廟所
江戸時代後期に川越城主であった松平大和守家歴代当主の墓所があります。
松平大和守家は結城秀康(徳川家康の次男)の五男・直基を初代とする徳川家一門の家柄です。
廟所は五代・朝矩(とものり)が死去した明和五年(1768年)頃から、
前橋へ転封(前橋城)となった慶応二年(1866年)十月の約百年間です。
川越で亡くなった五人の殿様の廟所です。
五基の巨大な五輪塔があります。
大名家の墓に見られる亀趺(きふ:石碑の台)があります。
五百羅漢
境内には天明二年(1782年)から文政八年(1825年)の約五十年の間に建立された、
日本三大五百羅漢の一つに数えられる五百羅漢があります。
日本三大五百羅漢は四つあります。
建長寺:神奈川県鎌倉市
徳蔵寺:栃木県足利市
羅漢寺:大分県中津市本耶馬渓町
喜多院:埼玉県川越市
個性豊かな五百羅漢
色々な表情やしぐさの羅漢さまがいました。
天海大僧正像
江戸時代初期に喜多院を復興した天海大僧正の像です。
百八歳で亡くなり、朝廷より慈眼大師の称号を賜りました。
明星社と明星杉
鎌倉時代の永仁四年(1296年)に尊海僧正が喜多院再興の為に訪れた時には、
ここには池があり、その前を通った時に、池の中から光が浮かび上がり、
そばにあった杉の木の上でしばらく光り輝いた後、空高く飛び立ったという伝説があります。
その伝説から喜多院の山号を星野山(せいやさん)と称し、
この地の字名を明星(みうじょう)と称します。現在は霊地の跡に社殿を建て、
新しい杉の木が植えられています。
どろぼうばし
昔は一本の丸木橋でした。喜多院と仙波東照宮の境内地は御神領で、
江戸幕府のご朱印地のため、
盗賊が敷地内に入ると川越藩の町奉行では捕まえることができませんでした。
ある時一人の盗賊が町奉行に追われ、境内に逃げ込みましたが、
寺男たちに捕らえられ、寺僧に諭されて真人間に立ち直る事が出来ました。
元三大師の無限の慈悲を物語る話として、「どろぼうばし」と呼ぶようになったそうです。
どろぼうばしは空堀に架かっていました。
喜多院のご朱印
平成二十一年拝受:関東三十六不動霊場第二十八番札所:ご朱印
平成二十一年拝受:厄除川越大師:ご朱印
令和四年拝受:厄除川越大師:ご朱印
小江戸川越七福神・大黒天:ご朱印
寺院情報
- 住所:埼玉県川越市小仙波町1-20-1
- アクセス:西武新宿線本川越駅下車徒歩約15分
- HP:https://kitain.net/
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関東三十六不動霊場は、不動明王をお祀りする寺院を巡るものです。
昭和六十二年(1987年)に開創されました。
三十六ケ所の札所は、不動明王の眷属(けんぞく)である、
三十六童子がお護りする尊像を巡拝の御本尊としたことから定まったものです。
不動尊への信仰は古くから関東地方の南部で篤いため、
我が国最大の不動尊の霊域ということができます。