東京都北区:谷中七福神・福禄寿:東覚寺のご朱印

江戸最古の七福神:赤紙仁王尊:東覚寺(とうがくじ)

谷中七福神(やなかしちふくじん)

谷中七福神

東京都台東区・荒川区・北区七寺院に祀られています。
江戸時代中期に始まった江戸最古の七福神です。寺院のみの巡礼となります。
毎年元旦から10日までご朱印を頂く事ができます。

東覚寺(とうがくじ):福禄寿:東京都北区
護国院(ごこくいん):大黒天:東京都台東区
天王寺(てんのうじ):毘沙門天:東京都台東区
長安寺(ちょうあんじ):寿老人:東京都台東区
修性院(しゅうせいいん):布袋:東京都荒川区
青雲寺(せいうんじ):恵比寿:東京都荒川区
不忍池弁天堂(しのばずのいけべんてんどう):弁才天:東京都台東区

谷中七福神:福禄寿

七福神期間中本堂御開帳されていました。

由緒

延徳三年(1491年)真言宗御室派僧・源雅和尚不動明王勧請して本尊とし、
神田創建しました。その後根岸を経て、現在の田端に移りました。

赤紙仁王尊と護摩堂

参拝客が赤色の紙を貼るため『赤紙仁王』の名で呼ばれるようになりました。
江戸市中で流行した疫病を鎮めるため、寛永十八年(1641年)造立されました。

具合が悪い部位と同じ箇所赤紙を貼るのがならわしだそうです。

また祈願成就には草履を奉納するそうです。

江戸時代の末までは隣の田端八幡神社門前にありましたが、
明治の神仏分離令を機に、東覚寺に移されました。

護摩堂

護摩堂平成二十一年に建てられました。

令和六年六月参拝時:赤紙仁王尊と護摩堂

令和六年六月参拝時には、まだ赤紙がそれほど貼られていませんでした。

護摩堂の後ろには、田端八幡神社神輿庫一の鳥居が見えます。

本堂

昭和二十年の空襲不動明王を除いて全て焼失しましたが、
昭和四十二年再建されました。

本尊不動明王弘法大師作といわれています。

大日如来と阿弥陀如来

鼓翼(はばたき)観世音菩薩

観音像の名は、住職の恩師である滝野川第一小学校の先生が、
戦時四万温泉集団疎開した酉歳生まれの児童達将来を託して名付けられた、
『はばたき会』の由るものです。

二宮金次郎像

弁天池

不動明王

雀供養之塚

本堂前に竹の形をした石碑があります。文化十四年(1817年)長坂という人が、
小鳥の水飲み場として建立したもので、側面には蜀山人の狂歌が刻まれています。

東覚寺のご朱印

令和六年拝受:不動明王:ご朱印

令和六年拝受:谷中七福神・福禄寿:ご朱印

寺院情報

東覚寺周辺

不動坂(ふどうざか)

田端駅南口から西南へ登る坂です。
坂名はかつて田端駅南口付近石造不動明王立像安置され、
不動の滝があったことによります。

田端不動尊

田端駅南口にあった石造不動明王像は、
明治四十五年(1912年)に始まった田端駅拡張工事不動坂付近に移され、
さらに谷田川改修工事にともない、昭和十年(1935年)現在地へ移されました。

田端不動尊:住所:田端3-14-1隣接地(JR田端駅南口徒歩約14分)

境内の石碑によると、太平洋戦争空襲境内が破壊された後、
しばらく放置されていましたが、昭和四十四年玉垣裏山景他改修工事が行われました。

小杉放庵旧居跡地

北区田端区民センターはかつて小杉放庵旧居跡地でした。
小杉放庵画家・歌人明治三十三年田端文士芸術家第一号として、
転入してきました。

田端文士村は、明治時代末期から昭和初期まで、田端近辺多くの文士や芸術家集まり
いわゆる文士村形成されました。

谷田川通り

谷田川通り谷田川暗渠となってできた通りです。
谷田川西ヶ原四丁目から流れ、不忍池注いでいた川です。

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