東京都台東区:江戸三十三観音霊場第六番札所:清水観音堂のご朱印

上野公園内:清水観音堂(きよみずかんのんどう)

由緒

寛永八年(1631年)寛永寺開山天海大僧正により建立されました。
京都東山の清水寺を見立てた舞台造りのお堂です。

御本尊も清水寺の義乗院春海上人から、
恵心僧都(えしんそうず)作の千手観世音菩薩像が奉納されました。

初めは上野公園内の擂鉢山(すりばちやま)に建てられましたが、
元禄七年(1694年)現在地に遷されました。

上野の山に創建当時から現存する最古の建造物です。

観音堂(国指定重要文化財)

上野戦争や太平洋戦争の戦火をくぐり抜けて現存し、
国指定重要文化財となっています。

秋色桜(しゅうしきざくら)

俳人秋色(しゅうしき)にちなんだ秋色桜です。

日本橋菓子屋十三歳の娘が、
花見の折りに『井戸はたの 桜あぶなし 酒の酔い
と一句したためて桜の枝に吊るしたところ、
輪王寺宮のお褒めにあずかり、
俳人となったそうです。

清水坂(きよみずざか)

以前階段下にあった黒門は、上野戦争の生々しい傷を残し、
三ノ輪橋円通寺に遷されました。

現在の黒門跡

上野公園入口にかつて黒門(くろもん)がありました。
幕末の上野戦争では最も激しい戦闘が行われました。
焼け残った黒門は明治四十年(1907年)に、荒川区の円通寺に移築されました。

かつてあった黒門を壁泉で表現しています。

月の松

清水観音堂の舞台の前に配されているのが、
歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれた月の松です。

清水観音堂のシンボルでしたが、
明治時代に台風の被害で無くなっていました。

平成二十四年(2012年)百五十年振りに復元されました。

円形に円を描く枝は、足立区の造園職人の手によるものだそうです。

人形供養碑

清水観音子育観音は、古くから子授けの信仰を集め、
授かると丈夫に育つようにて人形を奉納して供養されてきました。

今は古くなった人形に感謝し、毎年九月に法要があります。

清水観音堂のご朱印

江戸三十三観音霊場第六番札所:ご朱印

江戸三十三観音霊場は専用の御朱印帳はありません。

寺院情報

上野公園内に残る寛永寺の寺社

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