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日蓮宗大本山:池上本門寺
京浜四大本山巡り:ご朱印帳

京浜四大本山巡り

全ての本山のご朱印を頂くと、結願記念として飾れるようになっています。
由緒
池上本門寺は日蓮聖人が弘安五年(1282年)に亡くなられた場所です。
日蓮聖人は、病気療養の為常陸の湯に向かう途中、
武蔵国池上の郷主の池上宗仲の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名前の由来は、
「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りをこめて、
日蓮聖人が名付けました。
日蓮聖人の死後、池上宗仲が約七万坪の寺域を寄進し、
以来「池上本門寺」と呼ばれています。
総門

元禄年間(1688年~1704年)に建造されました。
檜造りで6.3メートルの高さです。
扁額の『本門寺』という書は熱心な法華経信者で江戸時代初期の芸術家、
本阿弥光悦の筆によるものです。

関東三額
中山法華経寺:千葉県市川市
本山日本寺:千葉県香取郡多古町
池上本門寺:東京都大田区
山門(仁王門)

高さ十七メートルの山門は昭和五十二年に鉄筋コンクリート造で再建されました。

経蔵

宝永七年(1710年)に焼失しましたが、
天明四年(1748年)に再建されました。
中には大蔵経(天海版)が回転自在の八角の輪蔵に収められていました。

大堂(祖師堂)

昭和二十年四月の空襲で焼失しましたが、
昭和三十九年に再建されました。
正応元年(1288年)に造立された、
国指定重要文化財である日蓮聖人の像が奉安されています。

何かユーモラスに感じられます。
国指定重要文化財:五重塔

江戸幕府二代将軍の徳川秀忠の乳母である岡部局が、
秀忠の病気平癒と武運長久を祈願し、建立を発願しました。
秀忠が征夷大将軍となった慶長十三年(1608年)に完成しました。

高さ29.4メートルで関東最古の五重塔です。
平成九年から十三年に解体修理工事が行われ、
鮮やかなベンガラ塗りの朱色の塔がよみがえりました。

此経難持坂(しきょうなんじざか)

慶長年間(1596年~1615年)に加藤清正の寄進により作られたと伝えられています。

「法華経」宝塔品・此経難持の文の字数(九十六段)で築かれています。

日朝堂

題目堂とも呼ばれ、日朝聖人像が奉安されています。
昭和四十三年に再建されました。
梵鐘

正徳四年(1714年)に瑶林院(加藤清正の息女で紀伊徳川頼宜の室)が、
加藤清正追善供養の為寄進しました。

鐘楼

重さは約七トンあります。昭和三十九年に再建されました。
本殿(釈迦殿)

本師釈迦牟尼仏・四菩薩・祖師像が奉安されています。
外陣の仁王像は円鍔勝三(えんつばかつぞう)氏が、
アントニオ猪木氏をモデルとしたそうです。
御廟所

日蓮聖人の御灰骨を納める八角堂式となっています。
第二祖の日朗聖人、第三世の日輪聖人の御廟所が左右に控えています。
昭和五十四年と六十一年に再建されました。

長栄堂

池上本門寺の守護神「長栄大威徳天」が奉安されています。
昭和三十四年に再建されました。

力道山墓所

日本プロレス界の祖である力道山の墓地が墓所の中にあります。

力道山は三十九歳で亡くなりました。

日蓮聖人説法像

高さ3.4メートルで重さは約1トンあります。

かつて明治の政治家の星亨の銅像がありましたが、
太平洋戦争中の金属供出で台座を残して撤去されていました。
その後遺族の協力の元、台座の上に聖人像が建立されました。

前田利家室層塔

前田利家の側室・寿福院が、元和八年(1622年)に建てました。
寿福院は加賀藩第三代藩主の前田利常の生母で、
豊臣秀吉没後に徳川家との関係改善の為、江戸に人質となっていました。
建立時は十一重ありましたが、現在は五重を残すのみです。
池上本門寺からの景色

うっすら見えるのは東京タワーでしょうか。
池上本門寺のご朱印
平成二十一年拝受:ご朱印

平成二十七年拝受:ご朱印

寺院情報
- 住所:東京都大田区池上1-1-1
- アクセス:都営浅草線西馬込駅徒歩8分
東急池上線池上駅徒歩10分 - HP:https://honmonji.jp/
ご覧頂きましてありがとうございます。
国道一号線沿線にある、宗派を代表する四つの大寺院を巡るものです。
専用の御朱印帳を購入して巡拝できます。各寺院で購入が可能です。
増上寺、川崎大師、總持寺とともに各宗派の四大本山を巡ります。