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藤圭子『新宿の女』歌碑:西向天神社(にしむきてんじんしゃ)
正月期間以外は、西向天神社で新宿山ノ手七福神めぐりの弁財天のご朱印が頂けます。
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由緒
安貞二年(1228年)に栂尾(とがのお)明恵(みょうえ)上人が創建したと伝えられています。
江戸時代の寛永年間(1630年代)に江戸幕府三代将軍徳川家光が鷹狩りに来た際、
社殿の荒廃を見て、修復の為に金の棗(なつめ)の茶入れを下賜して、
再興を促したといわれています。
社殿が西を向いているため西向天神社と呼ばれています。
西側鳥居
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西側鳥居は、東京メトロ副都心線・都営大江戸線東新宿駅のある、
新宿イーストサイドスクエアが見えます。
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社殿
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『新宿の女』歌碑
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平成十一年(1999年)に石坂まさをの作詞家生活30周年にあたって、
藤圭子の『新宿の女』の歌碑が建てられました。
昭和四十四年(1969年)に『新宿の女』でこの西向天神社より二人の若者が旅立っていき、
石坂まさをと藤圭子の名は時代を刻み、伝説として語られるようになった。
と記されています。
東大久保富士塚
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隣の新宿中学校との間にある階段を登る途中に見えてきます。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2024/01/東大久保富士塚2-1024x768.jpg)
東大久保富士塚は、神社隣の天神山児童遊園にあります。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2024/01/天神山児童遊園-1024x768.jpg)
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社殿遠景
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神社の敷地は周囲より小高い丘の上にあります。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2024/01/神楽殿-1024x768.jpg)
天神山児童遊園から見た神楽殿です。
富士塚のある天神山児童遊園は、境内の更に高いところにあります。
東側鳥居
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新宿中学校側にあり、天神山児童遊園があります。
西向天神社のご朱印
西向天神社:ご朱印
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新宿山ノ手七福神めぐり・弁財天:ご朱印
西向天神社では、正月の七福神期間以外は、
新宿山ノ手七福神めぐりの弁財天(抜弁天厳嶋神社)のご朱印も頂く事ができます。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2024/01/抜弁天厳嶋神社ご朱印.jpg)
神社情報
- 住所:東京都新宿区新宿6-21-1
- アクセス:東京メトロ副都心線・都営大江戸線東新宿駅徒歩約3分
西向天神社別当寺:大聖院(だいしょういん)(ご朱印無し)
本堂
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西向天神社の同じ敷地に大聖院という寺院があります。
宝暦元年(1751年)から明治四年(1871年)におよび二巻五冊一葉の『大聖院文書』は、
新宿区登録有形文化財であります。
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2024/01/大聖院文書案内-1024x719.jpg)
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2024/01/扁額-1024x768.jpg)
紅皿の墓
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2024/01/紅皿の墓-1024x768.jpg)
太田道灌の山吹の里伝説に登場する少女・紅皿の墓といわれています。
鷹狩りの途中で道灌が急な雨に遭遇し、路傍の農家に立ち寄り、
蓑(みの)を借りようと声をかけると、一人の少女・紅皿が出てきて、
黙って一枝の山吹を捧げました。
“七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき”後拾遺和歌集 兼明親王
「山吹」の意を得ずに、憤り帰った道灌は、家臣から、
「山吹」の意(「実の」と「蓑(みの)」をかけ「お貸しできる蓑が無い」ことを詫びた)を
告げられると、和歌の道に精進するようになったといわれています。
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大聖院の敷地内の駐車場に紅皿の墓があります。
太田道灌は紅皿を城に招いて歌の友としましたが、道灌の死後、
紅皿は尼となって大久保に庵を建て、死後その地に葬られたといわれます。
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山吹坂(やまぶきざか)
![](https://sansen-do.jp/wp-content/uploads/2024/01/山吹坂-768x1024.jpg)
大聖院に上がる階段には、『山吹坂(やまぶきざか)』の案内看板がありました。
紅皿の墓にちなんで名付けられたそうです。
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法善寺墓地参道
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大聖院の北側には、新宿山ノ手七福神めぐりの寿老人を祀る、
牛込法善寺への道がありました。
大聖院情報
- 住所:東京都新宿区新宿6-21-1
- アクセス:東京メトロ副都心線・都営大江戸線東新宿駅徒歩約3分
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