Contents
- 1 京浜四大本山巡り:江戸三十三観音霊場第二十一番札所:増上寺(ぞうじょうじ)
- 1.0.1 京浜四大本山巡り
- 1.0.2 由緒
- 1.0.3 三解脱門(国指定重要文化財)
- 1.0.4 黒門(旧方丈門)
- 1.0.5 光摂殿と勢至丸(法然上人)像
- 1.0.6 大殿
- 1.0.7 令和二年(2020年)十一月参拝時:大殿
- 1.0.8 令和五年三月参拝時:大殿
- 1.0.9 安国殿
- 1.0.10 黒本尊と徳川家康公
- 1.0.11 鐘楼堂(江戸三大名鐘)
- 1.0.12 江戸三十三観音・第二十一番札所:西向聖観世音菩薩(にしむきせいかんぜおんぼさつ)
- 1.0.13 千躰子育地蔵菩薩(せんたいこそだてじぞうぼさつ)
- 1.0.14 慈雲閣(開山堂)
- 1.0.15 御本尊
- 1.0.16 大門
- 1.0.17 聖観世音菩薩
- 1.0.18 長谷川一夫遺愛の桜
- 1.0.19 令和六年参拝時:熊野(ゆや)神社
- 2 増上寺のご朱印
- 3 増上寺宝物展示室で頂けるご朱印
京浜四大本山巡り:江戸三十三観音霊場第二十一番札所:増上寺(ぞうじょうじ)
京浜四大本山巡り
全ての本山のご朱印を頂くと、
結願記念として立てて飾れるようになっています。
由緒
浄土宗七大本山の筆頭です。
明徳四年(1393年)に浄土宗伝法の根本道場として、
酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人により、
江戸貝塚(千代田区紀尾井町)に創建されました。
徳川家康が江戸を治めるようになってから、
家康が源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依し、
徳川家の菩提寺となりました。
慶長三年(1598年)に現在の地に移転しました。
増上寺には増上寺御霊屋があり、
二代将軍・徳川秀忠、六代将軍・徳川家宣、七代将軍・徳川家継、十二代将軍・徳川家慶、
十四代将軍・徳川家茂など江戸幕府の六人の将軍のほか、
その家族などの墓所があります。
最盛期には百二十以上の堂宇、百軒を超える学寮が甍を並べ、
常時三千名の修行僧がいたと言われ、隆盛を極めました。
三解脱門(国指定重要文化財)
三解脱門(三門)は元和八年(1622年)に建立されました。
国の重要文化財に指定され、江戸初期の増上寺の面影を残す唯一の建造物です。
三解脱門とは三つの煩悩『むさぼり・いかり・おろかさ』を解脱する門とのことです。
上層部(楼上)には、中央に釈迦三尊像、脇壇に十六羅漢像が安置されています。
黒門(旧方丈門)
江戸幕府三代将軍の徳川家光によって、
慶安年間(1648~1652年)に寄進・建立されたといわれています。
増上寺の方丈(庫裡)の表門でした。
全体が黒漆塗であったため、黒門とも呼ばれました。
光摂殿と勢至丸(法然上人)像
浄土宗開祖の法然上人の幼いころの姿の像が立っています。
後ろの建物は平成十二年(2000年)に完成した、
「心を洗い、生きる力を育てる」ための道場である光摂殿です。
大殿
戦災で焼失しましたが、昭和四十九年(1974年)に再建されました。
首都圏では最大級の御堂です。
正面の石段を登った二階に本堂、三回に修行道場、
一階に檀信徒控室、地下一階に増上寺宝物展示室を備えています。
本堂には御本尊の阿弥陀如来、両脇壇に高祖善導大師と元祖法然上人が祀られています。
令和二年(2020年)十一月参拝時:大殿
現在屋根瓦約六万枚の葺き替え工事中の為、大殿は足場が組まれています。
厚さ0.3㎜のチタン瓦に変わるそうです。
令和五年三月参拝時:大殿
令和五年三月参拝時には屋根瓦の葺き替え工事は終わっており、
東京タワーとのコントラストが際立っています。
安国殿
平成二十三年(2011年)の法然上人八百年御忌を記念して、
天下泰平の世(安らかな国づくり)を願い、
老朽化した堂宇にかわり建立されました。
堂内には恵心僧都作と伝えられる秘仏黒本尊が祀られています。
ご朱印は安国殿で頂きました。
黒本尊と徳川家康公
黒本尊は家康公が深く尊崇し、そのご加護により戦の勝利を得たという、
霊験あらたかな阿弥陀如来像です。
鐘楼堂(江戸三大名鐘)
寛永十年(1633年)建立当時のものは戦災で焼失しました。
現在の鐘楼堂は戦後に再建されました。
大梵鐘は高さ3.3メートル、重さ15トンもあります。
四代将軍の徳川家綱の意向で、延宝元年(1673年)に七回の鋳造を経て完成しました。
東日本では最大級の大きさです。
江戸三十三観音・第二十一番札所:西向聖観世音菩薩(にしむきせいかんぜおんぼさつ)
江戸時代の、
寛永十八年(1641年)から元禄十一年(1703年)の間に開創されたといわれています。
明治の廃仏毀釈を経て、廃寺などで札所が入れ替わり、
昭和五十一年(1976年)に改訂されました。
『昭和新撰江戸三十三観音』と呼ばれています。
江戸三十三観音霊場第二十一番札所として、
西向聖観世音菩薩(にしむきせいかんぜおんぼさつ)が祀られています。
鎌倉幕府第五代執権の北条時頼が、観音山(今の東京タワーの場所)に辻堂を建て、
鎌倉街道(今の六本木方面)に向けて安置した石像の観音様です。
昭和五十年(1975年)に浄土宗開宗八百年を記念して、安国殿前に尊像が遷座されました。
千躰子育地蔵菩薩(せんたいこそだてじぞうぼさつ)
子や孫の無事成長を祈って建てられたお地蔵さまです。
慈雲閣(開山堂)
平成元年(1989年)に開山の酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人の五百五十年遠忌を記念し、
昭和二十年(1945年)に空襲で焼失しました開山堂が再建されました。
御本尊
阿弥陀如来:室町時代に製作されたものです。
大門
昭和十二年(1937年)に木造から鉄筋コンクリート造で再建されました。
都営地下鉄の駅名にもなっております。
実は増上寺の持ち物ではなく、東京都の持ち物でした。
(明治初頭に増上寺から寄付されました)
東京都から無償譲与されたのを機に耐震調査を行い、
耐震補強・外観化粧直しを行いました。
聖観世音菩薩
『ホテルニュージャパンの罹災者のみたまとこしえに安からんことをお祈りして』
と書かれていました。
昭和五十七年年二月八日に永田町にあったホテル・ニュージャパンの火災で亡くなられた、
三十三名の方の供養の為に建立されました。
長谷川一夫遺愛の桜
昭和の名優である長谷川一夫さんの自宅の桜を移したそうです。
令和六年参拝時:熊野(ゆや)神社
元和十年(1624年)に、増上寺第十三世正誉廓山上人が、
熊野権現を増上寺鎮守として、東北の鬼門に勧請しました。
『熊野』には「クマノ」と「ユヤ」の二通りの呼び名があるそうで、
増上寺では「ユヤ」権現と呼ばれています。
増上寺のご朱印
平成十六年拝受:阿弥陀如来ご朱印
平成二十七年拝受:阿弥陀如来ご朱印
黒本尊:ご朱印
江戸三十三観音霊場第二十一番札所:ご朱印
『南無阿弥陀仏』:ご朱印
安国殿で『南無阿弥陀仏』の一筆写経を奉納すると、書置きで頂けます。
御詠歌:ご朱印
増上寺宝物展示室で頂けるご朱印
台徳院殿:ご朱印
皇女和宮:ご朱印
目連尊者:ご朱印
お釈迦様の十大弟子(特に秀でた十人の弟子)の一人、目連のご朱印です。
五百羅漢:ご朱印
狩野一信の五百羅漢図が増上寺宝物展示室に展示されています。
令和六年拝受:限定ご朱印:安国院殿・ご朱印
寺院情報
- 住所:東京都港区芝公園4-7-35
- TEL:03-3432-1431
- アクセス:都営浅草線・大江戸線大門駅徒歩6分
都営三田線御成門駅・芝公園駅より徒歩3分 - HP:https://www.zojoji.or.jp/
増上寺周辺
御成門(おなりもん)
『御成門』とは大名家や寺社において貴人を迎えるための門のことです。
増上寺では将軍家を迎えるときの専用の門でした。
東京プリンスホテルの東側にあり、
芝公園三丁目交差点近くにひっそりとたたずんでいました。
増上寺周辺の明治・昭和の遺構
ペルリ提督像
増上寺三解脱門の道路を挟んだ向かい側にある公園の一角に、
『ペルリ提督像』とかかれた像があります。
ペルリとは幕末に来日し開国を迫ったあのペリーのことです。
顔立ちが教科書で見たイメージと異なり、若々しい感じがします。
開国百周年を記念して、石燈籠を贈呈した返礼として、
アメリカより贈られたという事ですが、なぜここにあるのかは不明のようです。
遣米使節記念碑
そのペルリ提督像の向かい側にあるのが『遣米使節記念碑』となります。
勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎などが乗船した咸臨丸で有名です。
1960年に百周年を記念して建立されました。
増上寺から見える東京タワー
東京プリンスホテル付近からの東京タワー
大殿と東京タワー
ご覧頂きましてありがとうございます。
国道一号線沿線にある宗派を代表する四つの大寺院を巡るものです。
専用御朱印帳を購入して巡拝できます。各寺院で購入が可能です。
池上本門寺:東京都大田区
増上寺:東京都港区
川崎大師:神奈川県川崎市
總持寺:神奈川県横浜市鶴見区