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忠臣蔵・赤穂義士(赤穂浪士)・吉良上野介・赤穂事件ゆかりの地
赤穂義士(赤穂浪士)や忠臣蔵に関係した寺社や史跡などを訪問した記事をまとめました。
赤穂事件
東京都港区
浅野内匠頭・赤穂四十七士墓所:泉岳寺(せんがくじ)
元禄十四年(1701年)3月14日の江戸城松の廊下での刃傷事件により、
赤穂藩主の浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が切腹した後、
泉岳寺に葬られました。
元禄十六年(1703年)には吉良邸討ち入り後、赤穂義士も葬られました。
赤穂義士(赤穂浪士)四十七士:大石良雄外十六人忠烈の跡
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)終焉の地
赤穂事件で大石内蔵助ら17人が預けられた肥後熊本藩の下屋敷です。
元禄十六年(1703年)の2月4日に江戸幕府の命により切腹しました。
新橋四丁目交差点そばに『浅野内匠頭終焉の地』と書かれた石碑があります。
一関藩主の田村右京太夫建顕(たむらうきょうだゆうたつあき)の屋敷に預けられ、
切腹しました。
浅野土佐守邸跡:赤坂氷川神社・南部坂
赤坂氷川神社には、浅野内匠頭の妻である瑶泉院(ようぜんいん)の実家、
三次(みよし)浅野家がありました。
歌舞伎『忠臣蔵』で吉良邸討ち入り直前の大石内蔵助と、
瑶泉院(ようぜんいん)の別れの場面を描いた、「南部坂雪の別れ」の舞台でもあります。
東京都墨田区
一之橋(いちのはし)
一之橋は赤穂義士(赤穂浪士)が泉岳寺に引き揚げる際に最初に渡った橋です。
万治二年(1659年)に堅川の開削と同時に架けられ、
隅田川から入って一ツ目の橋という意で命名されました。
東京都新宿区
水稲荷神社
赤穂義士(赤穂浪士)四十七士の一人、堀部安兵衛の逸話として有名な、
『高田馬場の決闘』における助太刀の事績を顕彰する記念碑が立っています。
近くには決闘の現場である『旧跡高田馬場跡』があります。
神奈川県小田原市
城前寺(じょうぜんじ)
曾我兄弟の墓所で有名な城前寺の阿弥陀如来坐像は、
忠臣蔵で知られる赤穂義士(赤穂浪士)の一人・吉田忠左衛門兼亮の遺児で、
城前寺十四世の到誉達玄和尚が、元文元年(1736年)に亡父の三十三回忌に当たって、
造像したものです。
大阪府大阪市北区
大石内蔵助の父の墓:円通院墓地(太融寺そば)
太融寺の南側の通り沿いに、大石内蔵助父の墓と書かれた石碑がありました。
忠臣蔵で有名な大石内蔵助良雄の父親の大石良昭の墓があります。
愛知県西尾市
吉良上野介墓所:華蔵寺(けぞうじ)
赤穂義士(赤穂浪士)に討たれた吉良上野介の墓所があります。
高家(こうけ)吉良家の菩提寺です。
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元禄十四年(1701年)3月14日におこった、
赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)による、
吉良上野介(きらこうずけのすけ)への江戸城内殿中刃傷事件から、
翌年の12月14日の吉良邸討ち入りまでの事件のことをいいます。
歌舞伎の演目や時代劇の『忠臣蔵』としても有名です。