Contents
日本製の鉄を使用した鉄橋(日本初):ウィップルス形トラス:旧弾正橋(八幡橋)(はちまんばし)
八幡堀遊歩道
富岡八幡宮のそばにある八幡堀遊歩道には、
国指定重要文化財の旧弾正橋(八幡橋)があります。
日本で最初に日本製の鉄を使って造られた鉄橋です。
由緒
八幡橋は、明治十一年東京府の依頼により、工部省赤羽製作所が製作した長さ15,2メートル、
有効幅員2メートルの単径間アーチ形式の鉄橋です。
昭和四年(1929年)五月に現在地に移して保存し、
富岡八幡宮の東隣にあるので八幡橋と称しました。
アーチを鋳鉄製(ちゅうてつ)とし、引張材は錬鉄製(れんてつせい)の鋳錬混合の橋で、
鋳鉄橋から錬鉄橋へいたる過渡期の鉄橋として近代橋梁技術史上価値の高い橋です。
橋の形(ウィップル形トラス)は、
米国人スクワイアー・ウィップル氏の特許が基本となっています。
八幡橋(旧弾正橋)
平成元年(1989年)に米国土木学会より「土木学会栄誉賞」が贈られました。
八幡橋は明治十一年(1978年)に京橋区楓川に架けられ、
島田弾正屋敷が近くにあったことから弾正橋と呼ばれていました。
弾正橋は馬場先門から本所・深川とを結ぶ主要街路の1つで、
文明開化のシンボルとして架橋されました。
その後関東大震災の復興事業により廃橋となってしまいました。
八幡橋は渡ることができます。
八幡橋(旧弾正橋)情報
- 住所:東京都江東区富岡1-19-1
- アクセス:東京メトロ東西線門前仲町駅徒歩約6分
八幡橋(旧弾正橋)周辺
旧新田橋(にったばし)
新田橋は大横川(旧大島川)に架かり、江東区木場五丁目から木場六丁目を結んでいました。
大正時代、岐阜県から上京し、木場五丁目に医院を開業していた新田清三郎さんが、
昭和七年に不慮の事故亡くなった夫人の霊を鎮める「橋供養」の意味を込めて、
近所の多くの人たちと協力して架けられたものです。
当時「新船橋」と名付けられたが、亡くなった後も地域の人から愛され、
いつしか「新田橋」と呼ばれるようになりました。
地蔵尊
八幡橋から永代通りに向かう途中に地蔵尊がありました。
東京大空襲で亡くなられた方の慰霊と、深川の復興を願って建立されました。
ご覧頂きましてありがとうございます。