【史跡・墓所訪問】新潟県南魚沼市:上杉景勝実父:長尾政景公墓所

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上田長尾氏歴代供養塔:龍言寺跡:長尾政景公墓所

龍言寺(りゅうごんじ)跡

長尾政景公墓所の敷地内には、龍言寺跡という石碑があります。
龍言寺上杉景勝米沢に移封された際、一緒に移転しました。

長尾政景(ながおまさかげ)

長尾政景

大永六年(1526年)長尾房長の子として生まれました。
妻は上杉謙信(長尾景虎)にあたる仙洞院で、上杉景勝の実父です。
天文二十年(1551年)確執のあった上杉謙信(長尾景虎)との盟約後は、
関東征戦や、武田信玄との戦い貢献しました。
弘治二年(1556年)家督を捨てて出家しようとした上杉謙信(長尾景虎)説得し、
押し止め復権させました。
永禄七年(1564年)野尻ヶ池(南魚沼市)急死しました。享年三十八でした。
死因には「舟遊びで酒に酔い溺死した説」、「謙信の命を受けた宇佐美定満による謀殺説」
など諸説がありますが真相は不明です。

上田長尾氏は、足利氏執権上杉氏に仕え、
坂東八平氏(千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾)と称され、
相模国長尾庄(現・横浜市戸塚一帯)本拠とした名門です。

上田庄は、三国・清水街道をもって関東と結ぶ要衝として、
関東管領上杉氏の相伝の地でした。

長尾政景公墓所(道宗塚)

道宗塚坂戸城主長尾政景(上田長尾氏第五代)墳墓で、
塚の名称政景の法名に由来します。

塚の大きさ約十メートル四方高さは約二メートルあります。

墓碑明治十六年(1883年)岡村貢(上越線建設の提唱者)有志によって再建され、
損傷が激しく平成十八年再々建されました。

歴代上田長尾氏墓所

上田長尾氏歴代の墓(五輪塔)が建っていました。

初祖長尾景実

長尾景実応永年代の初め(1394年~)に、古志長尾氏から分派して、上田庄に入りました。

二代長尾房景

後に庄名を冠して上田長尾通称され、守護上杉氏の繁栄貢献しました。

三代長尾顕吉

守護代長尾為景長尾顕吉娘(天甫公清)娶り顕吉と同盟を結び、
守護上杉房能を追い、自刃させました(越後下剋上または永正の乱)
天甫公清はのちに仙洞院上杉謙信を生みます。

四代長尾房長

管領上杉顕定の死によって、越後の上杉氏領消滅し、
房長による自立の時代が到来しました。
永正九年(1512年)坂戸城築城し、本拠としました。

六代上杉景勝

天正三年(1575年)上杉謙信養子となり、
精強な上田衆を引き連れて春日山城入城しました。

直江兼続

直江兼続は、永禄三年樋口惣右衛門兼豊長子として坂戸城下生まれました。
天正九年直江家を継ぎ直江兼続と改めました。
景勝の信頼あつく、若年にて上杉家の執政抜擢されました。

内藤玄宗句碑

長尾政景公墓所情報

  • 住所:新潟県南魚沼市坂戸117

谷川の六年水(谷川岳PA)

谷川の六年水(谷川岳PA)

関越自動車道谷川岳PAでは、関越トンネル内の地中深部から湧き出した水が出ていました。

谷川山系雪解け水約六年を経て浸透したもので、軟水癖が無く
お茶やコーヒー等最適という事です。

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