【宮城県塩竃市】鹽竈神社(しおがまじんじゃ)・志波彦神社(しわひこじんじゃ)のご朱印

陸奥国一の宮:鹽竈神社(しおがまじんじゃ)・志波彦神社(しわひこじんじゃ)

境内地図

境内には鹽竈神社志波彦神社が並んで建っています。

志波彦神社(しわひこじんじゃ)

由緒

冠川(七北田川の別名)河畔降臨したとされる志波彦神祀る神社です。

朝廷からも崇敬されましたが、中世以降衰微し、
天正年間の火災神具や縁起など資料を失い
延宝三年(1675年)再建では小さな社殿となり、岩切村牛頭天王社合祀されました。

明治四年(1871年)国幣中社に列せられたことを機に大きな社殿を造営する機運が生じ、
八坂神社では社地が狭いため、鹽竈神社境内遷座しました。

鳥居

駐車場から参道を歩くと志波彦神社の鳥居が見えてきます。

社標と門・回廊

社殿

昭和十三年(1938年)に国費をもって社殿が新築されました。

鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

由緒

武甕槌命(タケミカヅチノカミ)・経津主神(フツヌシノカミ)東北を平定した際、
両神を先導した塩土老翁(シオツチオジ)この地に留まり
製塩を教えたことに始まるといわれています。

中世においては奥州藤原氏崇敬し、
鎌倉時代には伊沢家景鎌倉幕府初代将軍源頼朝より陸奥留守職を任せられ、
留守姓を名乗り、留守氏管理権を掌握しました。

江戸時代仙台藩伊達家の寄せた崇敬は篤く伊達政宗慶長十二年(1607年)社殿造営し、
二代藩主伊達忠宗寛永十三年(1636年)鐘楼を再興し、寛文四年(1664年)には拝殿
慶安三年(1650年)には長床を修造しています。

五代藩主伊達吉村宝永元年(1704年)社殿が竣工し、
以後二十年に一度の式年遷宮の制度が設けられ現在に至っています。

古代この地は陸奥国府多賀城国府津(国府の港)で、製塩の中心地でした。

社標と東神門

志波彦神社から参道を歩くと、社標東神門があります。

国指定重要文化財:随身門

元禄十一年(1698年)上棟されました。

国指定重要文化財:唐門・廻廊

左右宮拝殿

左右宮拝殿元禄十二年(1699年)上棟しました。
左宮本殿には武甕槌命(タケミカヅチノカミ)
右宮本殿には経津主神(フツヌシノカミ)祀られています。

表参道階段

202段の階段があります。鳥居寛文三年(1663年)建立された花崗岩製です。

国指定重要文化財:別宮

別宮には塩土老翁(シオツチオジ)祀られています。

石灯籠

仙台藩四代藩主伊達綱村は、塩釜から城下町へと続く舟運ルートを計画し、
和田房長(半之助)にその工事を命じ、寛文十三年(1673年)竣工しました。
房長御加護に感謝し、石灯籠二基献納しました。

この「舟の道」はその後二百余年にわたって塩釜港補完しました。

銅鐵合製燈籠(どうてつごうせいとうろう):文化燈籠

文化六年(1809年)仙台藩九代藩主伊達周宗(ちかむね)が、蝦夷地警護の凱旋ののち、
寄進しました。

燈籠制作には仙台の鋳物師・早井義幹・大出治具・田中清道のほか、
田茂山(岩手県奥州市)及川庄七らも棟梁として関わったとされます。

舞殿

文治の燈籠

文治三年(1187年)奥州藤原氏三代・藤原秀衡の三男・藤原忠衡寄進したものです。

元禄二年(1689年)五月九日朝松尾芭蕉鹽竈神社に詣で、この燈籠を観たとされます。

長明燈

仙台藩御用の米商人大阪升屋山方重芳寄進です。
藩の財政危機を救う功績があります。

享和三年(1803年)御影石で作り、大阪から大船大燈籠を運びました。

日時計(複製)

鹽竈神社神官であった藤塚知明寛政四年に奉納しました。

「寛政の三奇士」の一人林子平長崎へ遊学の折得た知識をもとに造られました。

東鳥居(裏参道)

鋳銭釜(いせんがま)

鋳銭(いせん)とは貨幣を鋳造することで、幕府の許可を得て、
寛永十四年栗原郡三迫始まりました。

この鋳銭釜石巻市鋳銭場使用されたものです。

神馬舎

御神馬金龍号は、昭和五十五年より二十七年の長きにわたり御神馬として奉仕し、
平成十九年馬齢二十八歳(人間:百十二歳)その役目を全うしました。

蝋梅(ろうばい)

江戸初期林子平長崎に遊学の際持ち帰り旧社家藤塚知明贈りました。

稲井石

稲井石宮城県石巻市雄勝地区から産出する黒色粘板岩で、
東参道裏参道敷石にも古くから使用されています。

教育勅語渙発百三十周年記念碑

教育勅語碑乃木希典大将真筆を、下関市鎮座乃木神社より許可を頂き
県特産稲井石刻字したものです。

塩釜港の眺め

鹽竈神社・志波彦神社のご朱印

令和七年拝受:ご朱印

見開き一対で頂きました。

神社情報

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