鎌倉三十三観音霊場第三番札所・鎌倉二十四地蔵尊霊場第二十四番札所:安養院(あんよういん)
坂東三十三観音霊場
坂東三十三観音霊場のご朱印は専用の御朱印帳に頂きました。
鎌倉三十三観音霊場
大正から昭和初期に設定されました。
江戸時代に成立した『鎌倉郡三十三箇所』を元にしたといわれています。
専用の御朱印帳はありませんので、第一番札所杉本寺で無地のご朱印帳を購入し、
鎌倉三十三観音霊場専用としました。
鎌倉二十四地蔵尊霊場
明治の廃仏毀釈などで失われる地蔵尊を憂い、
明治三十四年(1901年)より各所を捜索し、
大正六年(1917年)に成立したといわれています。
鎌倉二十四地蔵尊霊場には専用の御朱印帳はありませんでしたので、
寺院用の御朱印帳にご朱印を頂きました。
由緒
尼将軍と呼ばれた北条政子が夫である源頼朝の冥福を祈る為に建立した、
長楽寺が前身と伝えられます。
元弘元年(1333年)に兵火により長楽寺が焼失した後、
大町にあった善導寺と統合され、『安養院長楽寺』となりました。
『安養院』は北条政子の法号です。
江戸時代に田代寺が安養院に統合されました。
千手観音は田代寺にあったもので、『田代観音』と称されます。
鎌倉幕府:尼将軍:北条政子ゆかりの地
本堂裏手には鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の妻である北条政子の墓があります。
周囲の反対を押し切り、伊豆に流罪となっていた源頼朝の妻となり、
後の鎌倉幕府将軍の源頼家、源実朝を産みました。
頼朝の死後は『尼将軍』として、鎌倉幕府を支えました。
その後源実朝の暗殺や後鳥羽上皇による承久の乱などの危機を乗り切り、
嘉禄元年(1225年)に亡くなりました。享年六十九でした。
北条政子の墓
北条政子の墓は寿福寺にもあります。
国指定重要文化財:宝篋印塔(ほうきょういんとう)
北条政子の墓と並んで、
国指定重要文化財の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が安置されています。
本堂
本堂には御本尊の『阿弥陀如来坐像』の背後に、
鎌倉三十三観音霊場札所本尊の『千手観音立像』が安置されています。
山門
山門で拝観料200円を納めて参拝致しました。
鎌倉二十四地蔵尊霊場第二十四番札所:日限地蔵(ひぎりじぞう)
鎌倉二十四ヶ所地蔵めぐり第二十四番札所となります。
日限地蔵(ひぎりじぞう)と呼ばれています。
天然記念物:槙
樹齢約七百年の槙です。
開山の尊観上人お手植えといわれています。
人丸墓
『悪七兵衛』という異名を持つ、
平家に従って戦った平景清(たいらのかげきよ)の娘・人丸(ひとまる)のお墓があります。
祇園山
北条政子の墓の後ろの山は『祇園山』と呼ばれています。
祇園山は『八雲神社』から、
『北条高時腹切りやぐら』まで『祇園山ハイキングコース』となっていますが、
令和元年の台風による倒木や地滑りにより、
令和四年八月現在も通行止めとなっています。
安養院のご朱印
御本尊阿弥陀如来:ご朱印
坂東三十三観音霊場第三番札所:ご朱印
鎌倉三十三観音霊場第三番札所:ご朱印
鎌倉二十四地蔵尊霊場第二十四番札所:ご朱印
寺院情報
- 住所:神奈川県鎌倉市大町3-1-22
- アクセス:JR鎌倉駅徒歩17分
JR鎌倉駅下車バス『名越方面』行き『名越』下車徒歩1分
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源頼朝によって発願され、源実朝が西国霊場を模範として札所を制定しました。
全行程は1,300㎞です。
室町時代には『西国三十三観音霊場』『秩父三十四観音霊場』と合わせて、
『百観音巡礼』が行われるようになりました。