富士塚:あじさい神社:白山神社(はくさんじんじゃ)
旧町名案内:白山前町(はくさんまえちょう)
昭和四十一年までは白山神社の門前町として、
『白山前町(はくさんまえちょう)』という町名でした。
東京十社めぐり
東京十社めぐり:御朱印帳
専用の御朱印帳で巡拝させて頂きました。
富士塚(ふじづか)
富士信仰に基づいて、富士山に模して造られた山や塚のことです。
江戸時代に始まったもので、関東地方の神社に見られます。
既に存在する丘や古墳を転用して富士山に見立てたものや、
富士山の溶岩を積み上げたものがあります。
浅間神社の境内にあり、富士塚の山頂にも浅間神社奥宮が設けられています。
白山神社の富士塚
6月中旬の『文京あじさいまつり』の期間中には、
白山神社に隣接する白山公園の富士塚が公開されます。
令和五年文京あじさいまつり:富士塚
令和五年の文京あじさいまつりは、6月10日(土)~18日(日)の開催です。
白山神社はむし歯の痛みを鎮める御神徳があるからか、
『歯の健康祈願祭』も開催されているようです。
令和五年の文京あじさいまつりに行き、公開された富士塚を訪問してきました。
山頂までの参道は、あじさいを見たり、写真を撮る人で行列となっていました。
山頂から社殿を眺めました。かなりの高さです。
近隣にある東洋大学の校舎が見えます。
山頂には浅間神社があります。
令和五年文京あじさいまつり:浅間神社のあじさい
あじさいの季節は、境内があじさいで埋め尽くされます。
山頂までの参道の両脇にもあじさいが咲いています。
天候にも恵まれ、暑いくらいの日でしたが、
たくさんの綺麗なあじさいを見ることが出来ました。
由緒
天暦二年(948年)に加賀国の白山比咩神社から勧請を受け、
現在の本郷一丁目に創建されました。
江戸幕府二代将軍の徳川秀忠の命で現在の小石川植物園内に遷されましたが、
明暦元年(1655年)に舘林藩主で後の五代将軍の徳川綱吉の屋敷の建設に伴い、
現在の場所に遷座されました。
その縁で綱吉やその母の桂昌院の崇敬を受け、徳川将軍家から信仰されました。
新潟市にある新潟総鎮守の白山神社(はくさんじんじゃ)も参拝してきました。
御神徳
むし歯の痛みへの御利益もあるそうです。
社殿
平成二十六年参拝時:社殿
平成二十六年四月の参拝時には境内には桜が咲いていました。
令和四年六月参拝時:境内のあじさい
令和四年六月の時期に参拝した際は、境内にはあじさいが綺麗に咲いていました。
境内や隣接する白山公園では約3,000株のあじさいを見ることができます。
ろ組天水桶
孫文先生座石
『中国革命の父』と呼ばれる孫文(そんぶん)が日本に亡命した際、白山神社の近くに住む、
アジア主義者の宮崎滔天(みやざきとうてん)宅に身を寄せていました。
二人はこの石に腰掛け、中国の将来や革命について語り合ったそうです。
摂社:関東松尾神社
江戸時代に境内に京都嵐山の松尾神社の御分霊を勧請しました。
昭和二十八年に酒類関係業者より、老朽化した社殿を改修しました。
関東松尾神社境内には奉納樽もありました。
摂社:八幡神社
源頼義・義家親子が、奥州征伐の途中に社殿前の桜木に御旗を立てました。
戦勝に感謝し、八幡神社が創建されました。
現在の社殿は昭和五十年に老朽化した社殿が改築されました。
白旗桜
永承六年(1051年)に奥州征伐の途中、源頼義・義家親子は、
八幡神社の社前の桜木に御旗を立てました。
薬師坂(やくしざか)
薬師坂は坂上の妙清寺に薬師堂があったことから名付けられたそうです。
白山神社にちなんで白山坂ともいわれていたそうです。
白山神社のご朱印
平成二十二年拝受:ご朱印
平成二十六年拝受:ご朱印
東京十社めぐり専用の御朱印帳に頂きました。
令和五年拝受:ご朱印
令和五年文京あじさいまつりの期間中に頂きました。
白山神社情報
- 住所:東京都文京区白山5-31-26
- アクセス:都営地下鉄三田線白山駅下車徒歩3分・東京メトロ南北線本駒込駅下車徒歩5分
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東京十社とは、明治元年(1868年)に明治天皇が准勅裁神社として幣帛を捧げられ、
東京の鎮護と万民の平安を祈願された社のことです。
昭和五十年(1975年)に昭和天皇御即位五十年を奉祝し、
東京十社めぐりが立案されました。
日枝神社、王子神社、根津神社、神田神社、芝大神宮、
亀戸天神社、富岡八幡宮、赤坂氷川神社、品川神社、白山神社