霊峰二山飯能七福神・毘沙門天:長念寺(ちょうねんじ)
武蔵野三十三観音霊場
専用の御朱印帳で巡拝しました。
霊峰二山飯能七福神
飯能地方で古くから信仰されている『子ノ権現』と、
牛頭天王を祀る『竹寺』の霊峰二山を合わせて九つの寺社を巡るもので、
令和三年三月三日に発足しました。
第一番:恵比寿:廣渡寺(こうとじ)
第二番:弁財天:心應寺(しんのうじ)
第三番:寿老人:瀧泉寺(りゅうせんじ)
第四番:毘沙門天:長念寺(ちょうねんじ)
第五番:福禄寿:興徳寺(こうとくじ)
第六番:布袋尊:法光寺(ほうこうじ)
第七番:大黒天:秩父御嶽神社(ちちぶおんたけじんじゃ)
第八番:霊峰二山・子の権現:天龍寺(てんりゅうじ)
第九番:霊峰二山・牛頭天王:八王子【竹寺】
専用の御朱印帳はありませんでした。
七福神のご朱印は通年頂くことができます。
由緒
創建年代は、境内から出土した正安元年(1299年)を最古とする板碑から、
鎌倉時代末まで遡ることがわかります。
観応三年(1352年)に高麗郡が鎌倉府の直轄地となり、
鎌倉公方の足利基氏が九年間にわたって入間川に在陣した際、
長念寺は拠点的寺院でした。
その後八王子滝山城主の大石定久によって再興されました。
また永禄九年(1566年)には北条氏照によって寺領安堵の文書が残され、
長念寺の支配が大石氏から北条氏に代わったことが確認されます。
徳川家康が江戸に入府しますと、家康によって寺領が安堵されました。
現在の長念寺は、慶長三年(1598年)に能仁寺四世の格外玄逸和尚によって再中興され、
曹洞宗に宗旨替えになりました。
本堂
平成二十八年(2016年)参拝時:本堂
観音堂
飯能の領主であり、江戸幕府の老中も務めた黒田直邦の実弟にあたる都築延貞は、
十七歳の若さで亡くなり、長念寺に埋葬されていました。直邦は弟・延貞の供養の為、
新しい観音堂(二代目)を寄進しました。
長念寺の初代観音堂は高倉寺に移築され、後に国の重要文化財に指定されました。
二代目の観音堂は、明治十四年(1881年)に、
坂東三十三観音霊場第十番札所の正法寺に売却されました。
現在の観音堂は三代目にあたり、大正初年に建てられました。
観音座像脇侍:韋駄天・案内
韋駄天は観音座像の脇侍として、元禄五年(1692年)に建立されました。
胎内に納められた経巻の奥書です。
聖観世音菩薩坐像案内
像高は58,2センチメートルあります。優雅で女性的な容姿の観音様です。
鐘楼堂
太平洋戦争で供出された釣り鐘は、ハレー彗星模様で復元されたそうです。
昭和六十一年(1986年)の新聞記事が貼られていました。
上部の上帯と呼ばれる部分に、長さ十五センチの尾を引いたハレー彗星の模様が、
八箇所に入り、中段には空からハスの花を散らす天女の姿が浮き彫りになっています。
鐘を撞かせて頂きました。
鐘楼堂ではラジオが流れていましたが、どうやら鷺や鹿・猪への威嚇用のようです。
鐘楼堂から見た本堂です。
烏枢沙摩明王案内
東司(とうす:便所)には烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)のお札が貼ってありました。
お寺のお言葉
供養塔と地蔵尊
庭園
長念寺のご朱印
平成二十八年拝受:武蔵野三十三観音霊場第二十九番札所・ご朱印
令和五年拝受:武蔵野三十三観音霊場第二十九番札所・ご朱印
令和五年拝受:霊峰二山飯能七福神・毘沙門天ご朱印
寺院情報
- 住所:埼玉県飯能市白子260
- アクセス:西武池袋線武蔵横手駅徒歩約15分
武蔵横手駅から高麗川にかかる東橋を渡ると長念寺があります。
ご覧頂きましてありがとうございます。
武蔵野三十三観音霊場は昭和十五年に郷土史家の柴田常恵氏の発願で、
番外を含めた三十四箇所の寺院を選定し、結成されました。
西武池袋線・秩父線沿線に点在している霊場です。
石神井から所沢、飯能方面に分布しています。