埼玉県飯能市:武蔵野三十三観音霊場第二十九番札所:長念寺のご朱印

霊峰二山飯能七福神・毘沙門天:長念寺(ちょうねんじ)

武蔵野三十三観音霊場

武蔵野三十三観音霊場

武蔵野三十三観音霊場昭和十五年郷土史家柴田常恵氏発願で、
番外を含めた三十四箇所の寺院を選定し、結成されました。
西武池袋線・秩父線沿線に点在している霊場です。
石神井から所沢飯能方面に分布しています。

専用の御朱印帳巡拝しました。

霊峰二山飯能七福神

霊峰二山飯能七福神

飯能地方で古くから信仰されている『子ノ権現』と、
牛頭天王を祀る『竹寺』霊峰二山を合わせて九つの寺社を巡るもので、
令和三年三月三日発足しました。

第一番:恵比寿:廣渡寺(こうとじ)
第二番:弁財天:心應寺(しんのうじ)
第三番:寿老人:瀧泉寺(りゅうせんじ)
第四番:毘沙門天:長念寺(ちょうねんじ)
第五番:福禄寿:興徳寺(こうとくじ)
第六番:布袋尊:法光寺(ほうこうじ)
第七番:大黒天:秩父御嶽神社(ちちぶおんたけじんじゃ)
第八番:霊峰二山・子の権現:天龍寺(てんりゅうじ)
第九番:霊峰二山・牛頭天王:八王子【竹寺】

専用の御朱印帳はありませんでした。
七福神のご朱印通年頂くことができます。

由緒

創建年代は、境内から出土した正安元年(1299年)最古とする板碑から、
鎌倉時代末まで遡ることがわかります。

観応三年(1352年)高麗郡鎌倉府直轄地となり、
鎌倉公方足利基氏九年間にわたって入間川に在陣した際、
長念寺拠点的寺院でした。

その後八王子滝山城主大石定久によって再興されました。
また永禄九年(1566年)には北条氏照によって寺領安堵の文書が残され、
長念寺の支配大石氏から北条氏に代わったことが確認されます。

徳川家康江戸に入府しますと、家康によって寺領が安堵されました。
現在の長念寺は、慶長三年(1598年)能仁寺四世格外玄逸和尚によって再中興され、
曹洞宗宗旨替えになりました。

本堂

平成二十八年(2016年)参拝時:本堂

観音堂

飯能の領主であり、江戸幕府老中も務めた黒田直邦実弟にあたる都築延貞は、
十七歳の若さで亡くなり長念寺埋葬されていました。直邦弟・延貞供養の為、
新しい観音堂(二代目)寄進しました。

長念寺初代観音堂高倉寺移築され、後に国の重要文化財指定されました。

二代目の観音堂は、明治十四年(1881年)に、
坂東三十三観音霊場第十番札所正法寺売却されました。

現在の観音堂三代目にあたり、大正初年に建てられました。

観音座像脇侍:韋駄天・案内

韋駄天観音座像脇侍として、元禄五年(1692年)建立されました。
胎内に納められた経巻の奥書です。

聖観世音菩薩坐像案内

像高は58,2センチメートルあります。優雅女性的な容姿の観音様です。

鐘楼堂

太平洋戦争供出された釣り鐘は、ハレー彗星模様復元されたそうです。

昭和六十一年(1986年)新聞記事が貼られていました。

上部上帯と呼ばれる部分に、長さ十五センチの尾を引いたハレー彗星模様が、
八箇所に入り、中段には空からハスの花を散らす天女の姿浮き彫りになっています。

鐘を撞かせて頂きました。

鐘楼堂ではラジオが流れていましたが、どうやら鷺や鹿・猪への威嚇用のようです。

鐘楼堂から見た本堂です。

烏枢沙摩明王案内

東司(とうす:便所)には烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)お札が貼ってありました。

お寺のお言葉

供養塔と地蔵尊

庭園

長念寺のご朱印

平成二十八年拝受:武蔵野三十三観音霊場第二十九番札所・ご朱印

令和五年拝受:武蔵野三十三観音霊場第二十九番札所・ご朱印

令和五年拝受:霊峰二山飯能七福神・毘沙門天ご朱印

寺院情報

  • 住所:埼玉県飯能市白子260
  • アクセス:西武池袋線武蔵横手駅徒歩約15分

武蔵横手駅から高麗川にかかる東橋を渡ると長念寺があります。

ご覧頂きましてありがとうございます。