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伝・源義経首洗井戸
神奈川県藤沢市の民家とマンションに囲まれた場所に、源義経首洗井戸がありました。
源義経((みなもとのよしつね)
源義経((みなもとのよしつね)
伝・源義経首洗い井戸案内

国道467号線沿いにある白旗交差点の近くにあるマンションの前に、
「伝・源義経首洗井戸」この奥という案内がありました。
伝・源義経首洗井戸参道

本町公園のそばにあります。
伝・源義経首洗井戸

文治五年(1189年)に奥州衣川で自害した源義経の首は、鎌倉の腰越で首実検の後、
浜に捨てられていたところを潮に乗って川をさかのぼり、里人によって拾われ、
井戸で清められたと伝えられています。


北にある相州白旗神社は、御祭神として源義経が祀られており、
源義経公鎮霊碑があります。

源義経公首塚

伝・源義経首洗井戸情報
- 住所:神奈川県藤沢市藤沢2-1-10
- アクセス:小田急江ノ島線藤沢本町駅徒歩約5分
ご覧頂きましてありがとうございます。
平治元年(1159年)に清和源氏嫡流の河内源氏の源義朝の九男として生まれました。
兄に鎌倉幕府初代将軍の源頼朝がいます。
平治の乱で父・義朝が敗れたことにより鞍馬寺に預けられました。
奥州平泉藤原氏当主の藤原秀衡の庇護を受け、
兄・頼朝が平家打倒に挙兵すると馳せ参じ、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしました。
頼朝との対立により奥州平泉に逃れましたが、藤原秀衡の死後、
跡を継いだ藤原泰衡(やすひら)によって、文治五年(1189年)に攻められ、
自害しました。享年三十一でした。