東京都台東区:谷中七福神・大黒天:護国院のご朱印

東叡山寛永寺最初の子院:護国院(ごこくいん)

谷中七福神(やなかしちふくじん)

谷中七福神

東京都台東区・荒川区・北区七寺院に祀られています。
江戸時代中期に始まった江戸最古の七福神です。寺院のみの巡礼となります。
毎年元旦から10日までご朱印を頂く事ができます。

東覚寺(とうがくじ):福禄寿:東京都北区
護国院(ごこくいん):大黒天:東京都台東区
天王寺(てんのうじ):毘沙門天:東京都台東区
長安寺(ちょうあんじ):寿老人:東京都台東区
修性院(しゅうせいいん):布袋尊:東京都荒川区
青雲寺(せいうんじ):恵比寿:東京都荒川区
不忍池弁天堂(しのばずのいけべんてんどう):弁才天:東京都台東区


専用の御朱印帳はありませんでしたので、寺院用の御朱印帳に頂きました。

谷中七福神・大黒天

大黒天本堂の中に安置されています。
七福神期間中「谷中七福神」の幟旗が立っていました。

由緒

寛永二年(1625年)天海僧正によって東叡山寛永寺開山したと同時に、
天海の命を受けた生順(しょうじゅん)によって開基されました。

東叡山寛永寺第一の子院として、釈迦堂と名付けられ、護国院別当寺となりました。
元禄年間根本中堂完成するまでは、東叡山総本堂役割を果たしました。

大坂城落城から二十五年経った寛永十六年(1639年)に、
釈迦堂豊臣・徳川両軍霊を弔う大念佛法要が執り行われ、
その功績を称えた三代将軍徳川家光より、
藤原信実の筆と伝えられる大黒天画像が奉納されました。

以来この像は護国院大黒天として信仰を集めました。

当初寛永寺本坊裏手(東京国立博物館北の寛永寺墓地)にありましたが、
徳川家霊廟建設のため、幕府の命により移転しました。その後移転を繰り返し、
五代将軍徳川綱吉の霊廟建設にあたり、清水門の傍らの現在地移転しました。

大正十五年墓地多磨霊園の4区に改葬し、現在の東京藝術大学敷地となりました。

本堂(釈迦堂)

享保二年(1717年)本堂は焼失し、享保七年(1722年)再建されました。
昭和二年(1927年)現在の東京都立上野高等学校創立にあたり境内地の大半を譲渡し、
本堂現在の位置に移動しました。

楽堂(がくどう)

背景松の絵が描かれています。

護国院・玉垣

昭和自民党政治家で、衆議院議長自民党副総裁を務めた大野伴睦の名がありました。

昭和の名優である長谷川一夫の名がありました。

昭和の落語家である三遊亭金馬の名がありました。

護国院のご朱印

令和六年拝受:御本尊:ご朱印

令和六年拝受:谷中七福神・大黒天:ご朱印

寺院情報

  • 住所:東京都台東区上野公園10-18
  • アクセス:JR山手線鶯谷駅徒歩約14分

護国院周辺

清水坂(しみずざか)

護国院のそばに清水坂があります。
坂近くに弘法大師にちなむ清泉が湧いていたといわれます。
坂上にあった寛永寺の門清水門と呼び、付近を清水谷と称していました。

かつては樹木が繁茂し、昼でも暗く、別名『暗闇坂』ともいわれました。

清水坂を下りて不忍池弁天堂に向かう道すがらに、
上野動物園モノレール線路跡がありました。令和5年12月27日で廃止となりました。

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