御祭神・宗良親王(むねながしんのう):徳川家ゆかりの三社めぐり:井伊谷宮(いいのやぐう)
建武中興十五社(けんむちゅうこうじゅうごしゃ)
御朱印帳:建武中興十五社巡拝案内記
建武中興十五社巡拝案内記は、冊子タイプのご朱印帳です。
御祭神:宗良親王(むねながしんのう)
後醍醐天皇の第四皇子です。応長元年(1311年)に、
歌道の家であった二条家出身の母から生まれたことから、
幼い頃から和歌に親しんでいました。
南北朝の戦いになると北畠親房に奉じられて、陸奥国霊山に渡ろうとしますが、
座礁によりと遠江国に漂着し、井伊谷の豪族である井伊行直のもとに身を寄せました。
足利方によって井伊谷城が落城すると、越後の寺泊や、越中国などに滞在した後、
信濃国大河原に約三十年間拠点とし、『信濃宮』と呼ばれるようになりました。
亡くなった地は信濃国大河原や井伊谷城など諸説ありますが、
明治六年(1873年)に井伊谷の墳墓を宗良親王の陵墓と定めました。
享年七十三でした。
2023年大河ドラマ『どうする家康』放送記念 徳川家ゆかりの三社めぐり
井伊谷宮摂社井伊社
宗良親王を助けた井伊道政と井伊高顕が祀られています。
子孫に徳川家康譜代家臣の井伊直政がいます。
神宮寺川
井伊谷は徳川家譜代の家臣で、彦根藩主でもある井伊氏発祥の地です。
近くには井伊氏の本拠地である井伊谷城があります。
井伊谷城からは神宮寺川を渡ると井伊谷宮があります。
由緒
元中二年(1385年)に井伊谷で薨去した宗良親王の墓所の地に、明治二年に、
井伊家末裔で彦根藩知事の井伊直憲が宗良親王を祀る神社創建を出願しました。
創建当初は『宗良親王御社』と呼ばれていましたが、
明治五年(1872年)に井伊谷宮(いいのやぐう)と改称されました。
明治六年(1873年)に龍潭寺塔頭の廃寺跡を社地として、
うち六百坪は宗良親王の墓地と定められました。
宗良親王の御墓への参道
境内奥に龍潭寺と宗良親王御墓へつながる参道があります。
宗良親王御墓
井伊家は宗良親王薨去後に五百年に渡りその菩提を弔ってきました。
神社の創建と親王御墓の修復は、ほぼ井伊家の負担で行われました。
井伊谷宮入口
隣には井伊家菩提寺の龍潭寺(りょうたんじ)があります。
鳥居
参道
参道:宗良親王(むねながしんのう)の和歌
参道には宗良親王の和歌がありました。
鳥居と神門
社殿
社殿裏の緑豊かな場所は、宗良親王御墓となります。
境内には風車
慈母観音石
竜ヶ岩洞近くの小川に、橋の替りとしてあったものが奉納されました。
井伊谷懐古三首
陽明学者で「平成」の元号を提案したといわれる、
安岡正篤(やすおかまさひろ)が残した漢詩です。
楠木正行に仕えた堀田正重は安岡正篤の遠祖だそうです。
難転厄割り石
井伊谷宮のご朱印
平成二十五年拝受:建武中興十五社巡拝帳・ご朱印
令和五年拝受:献氷祭・ご朱印
令和五年拝受:徳川家ゆかりの三社めぐり・摂社井伊社:ご朱印
令和五年拝受:徳川家ゆかりの三社めぐり・ご朱印
井伊谷宮の参拝で、三社すべて参拝することが出来ました。
令和五年拝受:宗良親王御佩刀(はいとう)・舞草(もくさ)・ご朱印
神社情報
- 住所:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1991-1
- アクセス:JR浜松駅下車遠鉄バス奥山行き神宮寺バス停下車徒歩約5分
JR浜松駅より車で50分・新東名浜松いなさI.C.より車で10分 - HP:https://www.iinoyaguu.or.jp/
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吉野神宮(奈良県吉野郡吉野町):後醍醐天皇
鎌倉宮(神奈川県鎌倉市):護良親王
井伊谷宮(静岡県浜松市北区):宗良親王
八代宮(熊本県八代市):懐良親王
金崎宮(福井県敦賀市):尊良親王・恒良親王
小御門神社(千葉県成田市):藤原師賢
菊池神社(熊本県菊池市):菊池武時・菊池武重・菊池武光
湊川神社(兵庫県神戸市中央区):楠木正成
名和神社(鳥取県西伯郡大山町):名和長年
阿部野神社(大阪府大阪市阿倍野区):北畠親房・北畠顕家
藤島神社(福井県福井市):新田義貞
結城神社(三重県津市):結城宗広
霊山神社(福島県伊達市):北畠親房・北畠顕家・北畠顕信・北畠守親
四條畷神社(大阪府四條畷市):楠木正行
北畠神社(三重県津市):北畠顕能・北畠親房・北畠顕家