神奈川県鎌倉市:鎌倉三十三観音霊場第九番札所:浄妙寺のご朱印

鎌倉五山第五位:古都鎌倉十三佛霊場第二番:浄妙寺(じょうみょうじ)

鎌倉三十三観音霊場

鎌倉三十三観音霊場

大正から昭和初期に設定されました。
江戸時代に成立した『鎌倉郡三十三箇所』を元にしたといわれています。

専用の御朱印帳はありませんので、第一番札所杉本寺で無地のご朱印帳を購入し、
鎌倉三十三観音霊場専用としました。

古都鎌倉十三佛霊場

十三佛信仰とは

十三仏を参拝すれば、亡き人の追善になり、
また追善を行った功徳により、
自らの死後十三王の審判から救済されるという十三仏信仰が盛んになり、
日本全国に霊場があり、多くの人が巡拝しています。

古都鎌倉十三佛霊場

一番札所:明王院(不動明王)
二番札所:浄妙寺(釈迦如来)
三番札所:本覚寺(文殊菩薩)
四番札所:寿福寺(普賢菩薩)
五番札所:円応寺(地蔵菩薩)
六番札所:浄智寺(弥勒菩薩)
七番札所:海蔵寺(薬師如来)
八番札所:報国寺(観世音菩薩)
九番札所:浄光明寺(勢至菩薩)
十番札所:来迎寺(西御門)(阿弥陀如来)
十一番札所:覚園寺(亜閦如来)
十二番札所:極楽寺(大日如来)
十三番札所:虚空蔵堂(虚空蔵菩薩)

古都鎌倉十三佛霊場:御朱印帳

由緒

文治四年(1188年)に、足利宗家二代当主足利義兼によって創建されました。
開山退耕行勇です。

正嘉元年(1257年)~正応元年(1288年)頃に建長寺開山の蘭渓道隆の弟子、
月峰了然が住持となって禅宗の寺院となり、『浄妙寺』と改められました。

浄妙寺寺名中興開基である足利宗家七代当主足利尊氏の父親の、
足利貞氏法名から取りました。

足利直義墓所

正平六年(1351年)に、
足利尊氏の弟である足利直義が境内の延福寺に幽閉され、
翌年に急死しました。
(境内延福寺跡お墓があります)

鎌倉幕府三代将軍:源実朝ゆかりの地

源実朝

源頼朝次男として生まれ、二代将軍兄・頼家が追放されると、
十二歳三代将軍に就きました。
『金槐和歌集(きんかいわかしゅう)』編纂するなど、
歌人としての才能も発揮しましたが、
建保七年(1219年)鶴岡八幡宮にて、
頼家の次男公暁(くぎょう・こうぎょう)殺害されました。
享年二十八でした。

建暦二年(1212年)足利義氏(足利宗家三代当主)に命じて造営を加え
北条政子白檀の立像新造釈迦像安置しました。

本堂

江戸時代中期の建物といわれています。

喜泉庵(きせんあん)

天正年間(1573年~1591年)に建立された茶室を、
平成三年に復興したものです。

抹茶和菓子を頂くことができます。

境内

境内は国指定史跡となっています。

花塚

足利貞氏宝篋印塔(ほうきょういんとう)

足利貞氏の墓と伝えられる、
明徳三年(1392年)銘宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。

浄妙寺のご朱印

鎌倉五山第五位:ご朱印

鎌倉三十三観音霊場第九番:ご朱印

古都鎌倉十三佛霊場第二番:ご朱印

寺院情報

  • 住所:神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31
  • アクセス:JR鎌倉駅下車路線バス『浄明寺』バス停下車徒歩5分

住所『浄明寺』『浄妙寺』から取りましたが、
お寺に遠慮して『妙』ではなく『明』の字をつけたそうです。

浄妙寺周辺

足利公方邸跡

足利義兼が邸を構えて以来、足利家の嫡流の居館がありました。
室町時代には足利基氏(足利尊氏四男)以来の鎌倉公方の居館となりました。

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