加藤清正ゆかりの寺院:清正公覚林寺(せいしょうこうかくりんじ)
日吉坂のそばに清正公覚林寺はあります。
元祖山手七福神
本堂
車の通りも多い中で、
静かで落ち着いてお詣りできるお寺でした。
由緒
加藤清正が文禄・慶長の役から帰国の際、
李氏朝鮮第14代国王である宣祖の長男、臨海君の子を連れ、
大切に養育されました。
成長した子どもは博多の寺にて出家し、
日延と号して安房小湊にある誕生寺の第十八代住職となりました。
日延上人は花の栽培が大変得意であったことから、
晩年白金村のこの場所を御花畑として幕府より下賜されました。
上人は清正公の遺徳を偲んで覚林寺を開創し、
清正公の守護仏である釈迦牟尼仏を本尊とし、
清正公とともにお祀りされました。
港区指定有形文化財:山門
弘化二年(1845年)の大火で覚林寺は全焼しましたが、
山門は安政三年(1856年)に再建されました。
港区指定有形文化財:清正公堂
弘化二年(1845年)の大火で覚林寺は全焼しましたが、
清正公堂は慶応元年(1865年)に再建されました。
港区指定有形文化財:清正公堂及び山門:由緒
有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王書の大額
有栖川宮熾仁親王
幕末から明治にかけての皇族です。
王政復古の大号令の際に総裁職に就任。
明治天皇に歌道と書道を指南し、
五箇条の御誓文の正本を揮毫(きごう)しました。
和宮内親王と婚約していたましたが、
江戸幕府との公武合体政策から、
和宮は江戸幕府十四代将軍の徳川家茂と結婚しました。
毘沙門堂
元祖山手七福神の毘沙門天が祀られています。
稲荷堂
浄行堂
お寺のお言葉
清正公覚林寺のご朱印
清正公覚林寺:御朱印帳
加藤清正公の兜がデザインされています。
平成二十二年拝受:ご朱印
平成二十九年拝受:ご朱印
元祖山手七福神・毘沙門天:ご朱印
毎年五月四日・五日両日に行われる清正公大祭では、
葉菖蒲の入った「お勝守」が授与されるようです。
寺院情報
- 住所:東京都港区白金台1-1-47
- アクセス:東京メトロ南北線・都営三田線白金高輪駅1番出口徒歩5分
ご覧頂きありがとうございます。
港区と目黒区の六ヶ所のお寺を巡る、江戸時代から続く七福神です。
清正公覚林寺、妙円寺、蟠龍寺、大圓寺、瑞聖寺、瀧泉寺(目黒不動)
元祖山手七福神は専用の御朱印帳はありませんが、色紙へ頂くこともできます。