宮城県石巻市:石巻日和山(ひよりやま)鎮座:鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)のご朱印

鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)

由緒

創建年代は不詳ですが、貞観元年(859年)には鹿島御児神社の文字が見られます。
鹿島神宮御祭神である武甕槌神(たけみかづちのかみ)と、

香取神宮御祭神である経津主神(ふつぬしのかみ)は、

鹽竈神社(しおがまじんじゃ)御祭神である塩土老翁神(しおつちおじ)先導のもと、
海路奥州へ下向し、東北地方の平定を行いました。

その乗船がたまたま石巻の沿岸碇泊して、錨を操作した際、石を巻き上げたことから、
石巻(いしのまき)地名の発祥をみたという伝承があります。

奥州における地方開発の祖神として崇敬されてきました。

日和山(ひよりやま)

神社のある日和山(ひよりやま)は、標高60.4メートルあり、鹿島御児神社が鎮座し、
中世には葛西(かさい)氏城館を構えていたと伝えられます。

日和山出航に都合の良い風向き潮の流れなど、『日和』見る場所であったことから、
その名が付いたといわれています。

石巻城跡

文治五年(1189年)奥州合戦恩賞として、源頼朝家人である葛西(かさい)清重は、
牡鹿郡ほか数か所の所領給付されました。
以後、天正十八年(1590年)豊臣秀吉によって滅ぼされるまでの約四百年間
葛西氏の重要な所領でした。

昭和五十八年(1983年)発掘調査によって、
日和山大規模な中世城郭があったことが確認されました。

松尾芭蕉句碑

元禄二年(1689年)松尾芭蕉弟子の曾良石巻を訪れました。
句碑延享五年(1748年)門人等によって建立されました。

大鳥居

大鳥居約6.2メートルの高さで、昭和十年建立されました。
東日本大震災も耐え抜きましたが、長年の経年劣化により解体せざるを得まず、
令和四年に再建されました。

大鳥居からの眺め

日和山からは広く太平洋が広がります。2011年3月11日東日本大震災時には、
数えきれない人が避難した命の山になりました。

東日本大震災伝承館から大鳥居の眺め

山の上に白い大鳥居が見えます。

鳥居

社殿

拝殿昭和四十五年(1970年)増改築された鉄筋コンクリート製です。

本殿東日本大震災によって基礎部分など甚大な被害を受け、
平成二十五年(2013年)解体されました。伊勢山皇大神宮から旧本殿を譲り受け
令和元年(2019年)完成しました。

境内

川村孫兵衛像

川村孫兵衛重吉毛利家の家臣でしたが、関ヶ原の戦い浪人になった後、
慶長六年(1601年)伊達政宗にその才能を見出され伊達家の家臣となりました。

昭和五十八年(1983年)石巻市制五十周年を記念して、
港町石巻の基礎を築いた大恩人としての業績を讃え銅像が建立されました。

内海安吉(うつみやすきち)像

現在の東松島市出身衆議院議員であった内海安吉氏胸像がありました。

鹿島御児神社のご朱印

令和七年拝受:ご朱印

奥の細道紀行

ご朱印とともに購入しました。

鹿島御児神社御朱印帳

御朱印帳には大鳥居日和山が描かれています。

神社情報

日和山公園からの石巻の眺め

東日本大震災前後の石巻の風景

門脇(かどのわき)、南浜江戸時代白砂青松美しい海岸が広がっていました。
工業港が整備されると、パルプ工場をはじめとする多くの工場が立地し、
急速に市街地化が進み、石巻市立病院、石巻文化センター
そして約3000軒を超える人家立ち並ぶ街として発展しました。

東日本大震災以前の石巻の風景の写真がありました。

北上川方面にも東日本大震災以前の写真がありました。

震災以前は住宅が多くあった事がわかります。

旧北上川・中瀬(なかせ)

中瀬にある漫画家・石ノ森章太郎ミュージアム石ノ森萬画館があります。
震災前には船が多くあったことがわかります。

旧北上川の両岸江戸時代船運の基地として栄え、
石巻市中心市街地として発展してきました。

石巻南浜津波復興公園の眺め

かつて人家が立ち並んでいた南浜地区は、石巻南浜津波復興公園として整備されました。

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