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金刀比羅宮東京分社(ことひらぐうとうきょうぶんしゃ)
由緒
文政二年(1819年)に中山道下板橋宿上宿の名主である板橋市左衛門が、
所有地内に金比羅大権現を勧請し祀ったのがはじまりです。
明治十三年(1880年)に金刀比羅神社として公認されました。
明治二十一年(1888年)に神田和泉町に遷座されました。
明治二十三年(1890年)に深川古石場町に遷座されましたが、
関東大震災や東京大空襲で被災し、社殿が失われました。
昭和三十一年(1956年)に元高松藩主松平家の松平頼明(まつだいらよりひろ)より、
讃岐高松藩上屋敷の邸内社として寛政五年(1793年)に創建された、
水道橋金刀比羅神社の境内地(下屋敷跡)を再建用地として寄進され、
昭和三十九年(1964年)に遷座再興されました。
虎ノ門にはかつては讃岐国丸亀藩の藩邸にあった金刀比羅宮が、
虎ノ門金刀比羅宮として鎮座されています。
松平頼重候下屋敷の跡碑
社殿
節分祭には佐渡ヶ嶽部屋の力士による豆まきがあるそうです。
鳥居と社務所
社務所のある建物は水道橋こんぴら会館と呼ばれています。
水道橋稲荷神社
金刀比羅宮東京分社の隣にあります。
金刀比羅宮東京分社のご朱印
金刀比羅宮東京分社:ご朱印
神社情報
- 住所:東京都文京区本郷1-5-11
- アクセス:JR水道橋駅徒歩5分・都営三田線水道橋駅徒歩3分
金刀比羅宮東京分社の周辺
鎮魂の碑
太平洋戦争で戦死したプロ野球選手の功績を称える為、
昭和五十六年(1981年)に当時の後楽園球場に碑が建立されました。
現在は東京ドームの敷地内(後楽園駅方面)にあります。
藤田東湖護母致命の処(ふじたとうこごぼちめいのところ)
東京ドームシティの白山通り沿いに、
幕末の勤王家である藤田東湖が亡くなった場所があります。
安政の大地震の際に自らの命と引き換えに母親を助け出しました。
茨城県水戸市に藤田東湖を祀る東湖神社があります。
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