新田義貞ゆかりの地:久米川古戦場(くめがわごせんじょう)・将軍塚(富士塚)
久米川古戦場(くめがわごせんじょう)
八国山に新田義貞が陣を張り、「北川」と「前川」の間の地が久米川古戦場のようです。
久米川古戦場
元弘三年(1333年)五月八日に、鎌倉幕府打倒の為、
今の群馬県新田町の生品神社で挙兵した新田義貞(にったよしさだ)の軍勢は、
十一日に初戦の小手指河原(所沢市)で鎌倉幕府軍を破りました。
翌十二日には久米川で鎌倉幕府軍と戦い、勝利しました。
新田義貞軍が陣を張った八国山(はちこくやま)に築いた塚が将軍塚と呼ばれています。
久米川一帯はその後も、建武二年(1335年)の中先代(なかせんだい)の乱や、
応永二十三年~二十四年(1417年)の上杉禅秀の乱などたびたび戦場となりました。
西宿公園
久米川古戦場跡の石碑のそばには西宿公園があります。
公園の中には『ふれあい』の銅像がありました。
古くから鎌倉街道の宿として栄えた久米川宿の西にある事から、西宿と呼ばれていました。
六月に訪問しましたが、公園の周辺にはひまわりが綺麗に咲いていました。
公園の裏には遊水池もありました。
久米川古戦場跡情報
- 住所:東京都東村山市諏訪町2-20
- アクセス:西武池袋線所沢駅下車西武園行バス将軍塚バス停下車徒歩約4分
将軍塚(しょうぐんづか)
八国山(はちこくやま)緑地
武蔵野三十三観音霊場第七番札所の徳蔵寺から歩いて向かいました。
『将陣場橋(しょうじんばばし)』を渡ると八国山緑地があります。
橋の名から新田義貞にゆかりがありそうです。
八国山緑地は東京都東村山市と埼玉県所沢市にまたがる広大な緑地です。
八国山(はちこくやま)は、上野・下野・常陸・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の、
八か国を望むことが出来たことに由来します。
将軍塚への山道
将軍塚バス停に近い入口から入ります。
木々に囲まれた道を歩きます。近隣の方の散歩コースにもなっているようです。
元弘青石塔婆(げんこうあおいしとうば)所在跡
かつては国指定重要文化財の『板碑(元弘三年斎藤盛貞等戦死供養碑)』がありましたが、
現在は東村山市の徳蔵寺に保存されています。
現在は昭和十年に建立された記念碑があります。
将軍塚(しょうぐんづか)
板碑の記念碑の奥に将軍塚の石碑があります。
新田義貞が逗留したことから将軍塚と呼ばれるようになりました。
富士塚(ふじづか)とも呼ばれ、あるいは古代の塚ではないともいわれています。
石碑の裏には昭和十二年に吾妻村(あづまむら)史蹟保存会の銘があります。
吾妻村は昭和十八年まであった旧地名で、現在の所沢市です。
将軍塚からの景色(所沢駅方面)
所沢駅の西武百貨店や駅前のマンションなどが見えます。
将軍塚情報
- 住所:埼玉県所沢市松が丘1丁目
- アクセス:西武池袋線所沢駅下車西武園行バス将軍塚バス停下車徒歩約5分
久米川古戦場・将軍塚周辺
北山風致地区
久米川古戦場や将軍塚のある八国山緑地は北山風致地区に指定されています。
国宝の地蔵堂のある正福寺から訪問した際は、北川緑道を通りました。
北川に架かる保生橋です。
西武新宿線東村山駅周辺
志村けんの像
西武新宿線東村山駅東口には東村山市出身のコメディアンで、
令和二年(2020年)三月に亡くなられた、志村けんさんの銅像が建っていました。
令和三年(2021年)六月に完成しました。
東村山駅の発車メロディは、志村さんが流行らせた『東村山音頭』です。
東村山名物:だいじょうぶだァー饅頭
東村山駅西口の和菓子処餅萬さんで、
東村山名物の『だいじょうぶだァー饅頭』を購入しました。
まんじゅう以外にもどら焼きや最中もありました。
五個入りのうち二個はうぐいす餡の『だっふんだァー饅頭』でした。
東村山停車場の碑
明治二十八年(1895年)に設置された東村山停車場の記念碑(明治三十年建立)です。
最初国分寺と川越を結ぶ川越鉄道の仮設駅として、
柳瀬川の鉄橋工事が完成するまで川越鉄道の久米川仮停車場として設置されましたが、
鉄橋の完成後に東村山の人々の寄付と土地の提供により正式に駅の設置決まりました。
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