群馬県太田市:幕府公認の縁切寺:徳川満徳寺のご朱印

徳川家康の孫・千姫ゆかりの寺院:徳川満徳寺(まんとくじ)

群馬県太田市にある満徳寺は、鎌倉東慶寺と並んで、縁切寺として有名です。

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縁切寺満徳寺資料館

満徳寺には平成四年(1992年)に開館した縁切寺満徳寺資料館が併設されています。
玄関には2023年大河ドラマ『どうする家康』ののぼりがありました。

館内では復元された江戸時代の寺役場歴代徳川将軍の位牌などが展示されていました。

映像コーナーでは縁切りの仕組みがわかるアニメが、市原悦子さんの声で流れていました。

由緒

徳川家の祖である新田義季(にったよしすえ)によって開基により創建されたといわれています。
江戸幕府二代将軍徳川秀忠である千姫大坂夏の陣により豊臣秀頼と別れた後、
縁切りの為に寺に入り、その後本多忠刻(ほんだただとき)に嫁いだといわれています。

明治五年(1872年)廃寺となりましたが、御本尊などの什物は、
徳川地区の人たちにより大切に守られており、今は資料館に展示されています。

平成六年(1994年)にかつての伽藍のうち、本堂玄関門や塀などが復元され、
遺跡公園としてオープンしました。

駆け込み門

駆け込み門の奥には中門があり、その奥には旧本堂がありました。

駆け込み門に入ってきた女性を保護し、
役人により離婚調停を行う特権公的に認められていました。

旧本堂

江戸時代の修復図に基づき、できる限り当時の工法で復元されました。

旧本堂内には位牌殿御神殿などがありました。

客殿跡

三人の寺役人縁切寺法執行や寺務にあたったようです。

寺役場跡

『駆込女調役所』といわれていました。
夫とともに妻も寺役人から身元調べ説得を受けたそうです。

庫裡跡

駆け込みで寺に入った女性は、主に庫裡で生活したそうです。

隠居所跡

住職を退いた隠居や尼弟子が生活した場所だそうです。

歴代住職墓所

駆け込み門のそばには歴代住職の墓所がありました。

徳川満徳寺のご朱印

徳川満徳寺:ご朱印

正式なご朱印ではないようで、縁切寺満徳寺資料館で無料で頂く事ができました。

寺院情報

  • 住所:群馬県太田市徳川町385-1(縁切寺満徳寺資料館)
  • アクセス:北関東自動車道伊勢崎I.Cから車で30分
         東武伊勢崎線世良田駅下車徒歩約33分

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