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五街道のひとつ・甲州街道:内藤新宿(ないとうしんじゅく)
甲州街道御宿場印(ごしゅくばいん)めぐり
甲州街道は江戸幕府によって整備された五街道のひとつで、
江戸日本橋から中山道に合流する下諏訪宿まで四十四次までの宿場が置かれています。
(徳川家康の江戸入府に際し、江戸城が陥落した場合、
甲府までの将軍の避難路として使用されることを想定して造成されたそうです)
信濃高遠藩・高島藩・飯田藩が参勤交代に利用しました。
甲州街道御宿場印めぐり御宿場印帳
御宿場印帳と内藤新宿の御宿場印は、新宿駅南口の甲州街道高架下にある、
新宿観光案内所(https://www.kanko-shinjuku.jp/office/-/index.html)で購入しました。
由緒
甲州街道の最初の宿場は高井戸でしたが、日本橋を出発して四里八丁(16.6㎞)あったため、
人馬とも不便でした。
元禄十年(1697年)に浅草阿部川町の名主・喜兵衛は、同志四名とともに、
太宗寺の南東に宿場を開設するよう、幕府に願い出ました。
元禄十一年(1698年)六月に許可となり、翌十二年(1699年)に開設されました。
宿場は四谷大木戸あたりから、
追分(おいわけ)と呼ばれる現在の伊勢丹のあたりまで続いていました。
享保三年(1718年)に一度廃止されますが、明和九年(1772年)に宿場は再興されました。
伊勢丹の近くには名物の『追分だんご』のお店がありました。
新宿三丁目交差点:新宿元標ここが追分
新宿三丁目交差点に『新宿元標ここが追分』という追分道標が設置されていました。
内藤新宿開設三百年記念碑
東京都水道局新宿営業所前に『内藤新宿開設三百年記念碑』がありました。
四谷大木戸跡碑
昭和三十四年十一月に地下鉄丸ノ内線の工事で出土した、
玉川上水の石樋(せきひ)を利用して造られました。
実際の大木戸の位置は四谷四丁目の交差点になります。
内藤新宿の宿場印
内藤新宿:宿場印
内藤新宿周辺
玉川上水水番所跡
玉川上水は多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠(かいきょ)で、
四谷大木戸から木樋(もくひ)といった水道管を地下に埋設して通水しました。
水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理し、
ごみの除去などを行い、水質を保持しました。
水道碑記(すいどうのいしぶみのき)
玉川上水開削の由来を記した記念碑で、明治二十八年(1895年)に完成しました。
玉川上水内藤新宿分水
玉川上水の流れを偲ぶため、新宿御苑内に新宿区が整備しました。
玉川上水は、江戸の飲料水を確保するために、承応三年(1654年)に開設されました。
淀橋浄水場が完成する明治三年(1898年)頃まで、江戸・東京の貴重な水源でした。
新宿御苑:旧新宿門衛所・旧大木戸門衛所
旧新宿門衛所や旧大木戸門衛所は、昭和二年に建てられたものです。
空襲の被害を免れ、皇室御料地時代をうかがわせる貴重な建造物です。
田安通り
新宿御苑近くの田安通りは、江戸時代後期に御三卿のひとつ、
田安徳川家の下屋敷がありました。
消防博物館
四谷三丁目交差点には消防博物館がありました。
昭和四十一年(1966年)に設置された、
東京消防庁の航空隊のヘリコプター1号機が展示されていました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
令和五年五月より甲州街道の御宿場印プロジェクトが開始されました。
各宿場の販売所にて宿場印が販売されています。
甲州街道御宿場印プロジェクトHP https://www.simizukobo.com/goshukuba