畠山重忠ゆかりの地:出世稲荷:佐助稲荷神社(さすけいなりじんじゃ)
鎌倉幕府初代将軍:源頼朝ゆかりの地
伊豆に配流された源頼朝の夢に、稲荷神の老翁が現れ、平家打倒を促した故事があります。
鎌倉幕府有力御家人:畠山重忠ゆかりの地
畠山氏は坂東八平氏の一つである秩父氏の一族です。
畠山重忠は源頼朝の挙兵の際、最初は平家方として頼朝討伐に参加しましたが、
その後頼朝に帰伏しました。
鎌倉幕府の有力御家人として、『鎌倉武士の鑑』とも称されました。
しかし北条時政の謀略により、北条義時率いる大軍に滅ぼされました(畠山重忠の乱)
源頼朝の命で、畠山重忠が社殿を建立しました。
由緒
伊豆に配流されていた源頼朝の夢に『かくれ里の稲荷』と名乗る稲荷神の老翁が現れ、
平家打倒の挙兵を促しました。
建久年間(1190年~1199年)に源頼朝は畠山重忠に命じて、
『かくれ里の祠』を探し当て、稲荷神社を再建させたといわれています。
頼朝の若い頃、兵衛佐(ひょうえのすけ)であったので佐殿(すけどの)と呼ばれ、
佐殿を助けたことから『佐助稲荷神社』と言われているそうです。
延文四年(1359年)に初代鎌倉公方の足利基氏は凶徒退治の祈祷を、
『佐介稲荷社別当三位僧都御房』に命じたという記録が残っています。
また応永二十五年(1418年)に関東管領の上杉憲実が鶴岡八幡宮の供僧(ぐそう)に対して、
佐助稲荷神社の別当職と社領を安堵しています。
佐助稲荷神社への道のり
銭洗弁財天から佐助稲荷神社へ向かいました。
行き止まり表示がありますので気をつけて下さい。
左側の階段を下りて佐助稲荷神社へ向かいました。
下拝所
鳥居の側に下拝所がありました。
本殿へは階段を登りますので、参拝が難しい方に向けだそうです。
鳥居
緑豊かな周囲の中で赤い鳥居が綺麗に並んでいます。
参道階段
拝殿
令和元年十二月に拝殿が改築されました。
本殿前の階段
拝殿裏に本殿へ上る階段があります。
鳥居の奥に本殿が見えます。
明治二十八年に本殿は再建されました。
本殿への道
『お塚』と呼ばれる場所だそうです。白い狐が奉納されています。
本殿鳥居
霊狐水(れいこせん)
社務所の奥に『霊狐水』という湧水がありました。
稲荷山の湧水だそうです。
縁結び:十一面観音菩薩
木造の十一面観音菩薩は、江戸時代に足柄郡の尼寺から佐助稲荷神社に安置されました。
良縁に薄く、諦めて仏門に入った赤松幸運という美しい姫君が、
この世の男女に良縁があるように祈願して彫られたと伝えられています。
毎年五月十八日に御開帳があります。
(宮司が般若心経と観音経を読経されるそうです)
佐助稲荷神社のご朱印
佐助稲荷神社:ご朱印
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』畠山重忠ゆかりの地:記念ご朱印
十一面観世音菩薩:ご朱印
神社情報
- 住所:神奈川県鎌倉市佐助2-22-12
- TEL:0467-22-4711
- アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩約20分
- HP:https://sasukeinari.jp/
佐助稲荷神社周辺
蓮華寺跡
蓮華寺はかつて鎌倉幕府四代執権の北条経時が、
然阿良忠(ねんなりょうちゅう)を開山に迎えて仁治元年(1240年)に創建しましたが、
寛元元年(1243年)に材木座に遷し、寺号を光明寺と改めたといわれています。
鎌倉青年團:蓮華寺址碑
佐助保育園の前に石碑があります。
諏訪神社(鎌倉商工会議所横)
市役所通りに面して、鎌倉商工会議所の横に諏訪神社がありました。
諏訪氏の屋敷神であったともいわれています。
鎌倉駅西口の市役所前交差点には『諏訪神社参道』と書かれた石碑がありました。
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清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国に独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)に相模川の橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳で亡くなりました。