日蓮宗本山比企谷(ひきがやつ):妙本寺
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日蓮宗の霊跡
霊跡は日蓮聖人一代の重要な遺跡です。
池上本門寺や中山法華経寺などがあります。
鎌倉幕府有力御家人:比企能員(ひきよしかず)ゆかりの地
妙本寺は比企谷(ひきがやつ)と呼ばれる場所にあり、
鎌倉時代には比企能員一族の屋敷がありました。
鎌倉町青年團:比企能員邸址碑
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由緒
文応元年(1260年)に日蓮聖人を開山とし創建されました。
開基は比企能員の末子の比企能本(ひきよしもと)です。
『比企の変』で一族八百人余を北条時政に滅ぼされた時は、
能本は二歳でした。
その後京都で順徳天皇に仕え、天皇が亡くなった後、
姪で鎌倉幕府四代将軍の九条頼経の妻になった竹の御所(源頼家の娘)の計らいで、
鎌倉に戻りました。
出産時に死去した竹の御所の持仏像を祀る為、
新釈迦堂が建立され、仙覚(せんがく)が寺住となりました。
仙覚は寛元四年(1246年)に万葉集の校訂を成し遂げました。
境内には『万葉集研究遺蹟(仙覚律師之碑)』もあります。
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文応元年(1260年)に日蓮聖人に帰依した比企能本は、
屋敷を献上し、法華堂を建立しました。
その後日蓮聖人の弟子の日朗上人に継承されました。
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日蓮聖人鎌倉開教聖地の碑
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日蓮聖人銅像
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竹御所(源媄子)墓
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鎌倉幕府二代将軍の源頼家の娘で四代将軍の藤原頼経の夫人である、
竹御所(源媄子)のお墓です。
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妙本寺までの参道
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本覚寺の前に妙本寺の総門に向かう道と石塔があります。
総門
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総門は天保年間に建立されましたが、関東大震災で倒壊しました。
大正十四年に再建されました。
総門右側の八角形の建物は比企谷幼稚園です。
昭和十二年三月に法隆寺の夢殿を模して建てられました。
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帝釈天王の石碑
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総門の手前に『帝釈天王の石碑』がありました。
日蓮上人を『松葉ヶ谷の法難』から救ったのが白猿だったといわれています。
白猿は『帝釈天の使い』だそうです。
方丈門
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妙本寺にはここから入ります。
本堂
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祖師堂
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天保九年(1838年)に建立された鎌倉最大級の木造建築の一つです。
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祖師堂の辺りに源頼朝の乳母であった比企尼の屋敷があったと伝えられています。
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二天門
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天保十一年(1840年)に建立されました弁柄塗りの門です。
向かって右側に持国天、左側に毘沙門天が祀られています。
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祖師堂から見た二天門です。境内のお花が綺麗に咲いています。
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比企一族の墓
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真ん中には比企一族を弔う四基の五輪塔があり、
両脇には石塔があります。
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右側の石塔に『比企能員公一族の墓』と書かれています。
一幡の袖塚
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比企の変で亡くなった、鎌倉幕府二代将軍の源頼家の嫡男である一幡の袖塚となります。
一幡は六歳でした。母親である若狭局(わかさのつぼね)は、
蛇苦止堂(じゃくしどう)に祀られています。
鐘楼
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蛇苦止堂(じゃくしどう)
妙本寺の方丈門をくぐらずに、左側の道を歩くと蛇苦止堂があります。
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方丈門からしばらく歩くと、右側に『須磨稲荷大明神・和佐稲荷大明神』があります。
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階段を登ると蛇苦止堂があります。
蛇苦止堂(じゃくしどう)
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鎌倉幕府二代将軍の源頼家の夫人である若狭局(わかさのつぼね)を祀る社です。
鎌倉幕府有力御家人の比企能員の娘で、鎌倉幕府二代将軍の源頼家の夫人です。
頼家の長子である一幡を産みました。
『比企能員の変』で比企能員が北条時政に殺され、
比企一族も北条義時に攻められ、一族が自害した際、
若狭局も一幡とともに焼死したとも井戸に身を投げて亡くなったともいわれています。
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周りは山と住宅に囲まれています。
蛇苦止の井
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蛇苦止の井とは若狭局が身を投げた井戸といわれています。
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蛇苦止の井(蛇形井)石碑です。
観音像と祠
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井戸の隣には観音像と祠があります。
池と観音像
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蛇苦止ノ井の隣には観音像と池があります。
妙本寺のご朱印
平成三十年拝受:ご朱印
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令和四年七月拝受:ご朱印
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ご朱印の意味を書いた紙も頂きました。
『質直意柔軟(しちじきいにゅうなん)』という法華経の中の言葉です。
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ご朱印は庫裡で頂きました。『比企能員ゆかりの地』というのぼり旗が立っていました。
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寺院情報
- 住所:神奈川県鎌倉市大町1-15-1
- アクセス:JR鎌倉駅徒歩10分
- HP:https://www.myohonji.or.jp/
ご覧頂きましてありがとうございます。
源頼朝に仕えた御家人で、頼朝の乳母であった比企尼の養子にあたります。
妻は源頼家の乳母、娘の若狭局は頼家の妻になり、頼家の子一幡を産むなど、
源氏(鎌倉殿)とは深い関係をもっていました。
その後能員は北条氏との間で頼家の後継者争いから殺害されました。
一族は北条氏との戦いに敗れ、屋敷に火を放ち、自害しました(比企の変)