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高家吉良家の菩提寺:片岡山華蔵寺(けぞうじ)
赤穂義士(赤穂浪士)討ち入りや吉良邸、
忠臣蔵に関する寺社・史跡を訪問した記事をまとめています。
吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)
東京都墨田区には、現在は本所松坂町公園となっている吉良邸跡があります。
「吉良の赤馬」像

寺標と山門

由緒
吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の曽祖父である吉良義定が旗本となり、
吉良家を再興した際に、新たに高家吉良家の菩提寺として、江戸時代初期に建立されました。
吉良家は、鎌倉時代に、足利義氏の庶長子の足利長氏が三河守護・吉良荘地頭を務め、
吉良を名字としたことからはじまります。

室町幕府においては足利将軍家に次ぐ待遇を受け、幕府の中枢として活躍しました。
「御所(将軍)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と俗にいわれ、
三管領家(斯波氏・細川氏・畠山氏)より家格・格式は上位でした。
吉良家墓所

吉良家墓所には西条吉良家出身の吉良義安から、吉良上野介義央の継嗣である義周まで、
六代の墓があります。
吉良上野介公墓所

吉良上野介公を慕う人々
村上鬼城(むらかみきじょう)の句

大正七年四月、俳人の村上鬼城は、華蔵寺に詣で、この句をしたためました。
『行春や 憎まれながら三百年』

尾崎士郎「吉良の男」

華蔵寺のご朱印
平成二十六年拝受:ご朱印

寺院情報
- 住所:愛知県西尾市吉良町岡山山王山59
- アクセス:名鉄西尾線上横須賀駅徒歩約27分
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吉良家は清和天皇の後裔で、鎌倉時代に足利義氏の庶長子の足利長氏が、
三河守護・吉良荘地頭を務め、吉良を名字としたことからはじまります。
吉良上野介義央の祖父・義弥の時に、
江戸城における一切の典礼を司る高家の地位を得ました。
京への使者を任され、立派にその大任を果たしたことから、
以後有職故実(ゆうそくこじつ)の家柄として重用されました。
義央は、寛永十八年(1641年)に、吉良義冬と大老・酒井忠勝の姪の嫡男として、
生まれました。
忠臣蔵では悪役に仕立てられましたが、領地の三河の吉良(愛知県西尾市吉良町)では、
新田の開発や塩業の発展に尽力するなど、名君として慕われていました。
元禄十五年(1703年)の12月15日に赤穂四十七士に討たれました。享年六十二でした。