Contents
伊豆最古の木造建築物:北条政子ゆかりの地:指月殿(しげつでん)
鎌倉幕府二代将軍:源頼家ゆかりの地
頼家が殺害された筥湯や頼家の墓、
母親の北条政子が供養に建てた指月殿があります。
筥湯(はこゆ)
修善寺温泉の七つの外湯のひとつで、元久元年(1204年)七月十八日に、
幽閉されていた源頼家が入浴中に北条氏の刺客に襲撃された温泉と伝えられています。
現在の筥湯は平成十二年二月十二日に再建されました。
かつてあった旧筥湯跡を掘ったところ、古い湯殿跡が発見され、
頼家入浴の温泉ではないかといわれています。
源頼家の墓
『頼家公廟道』と書かれた石碑があります。
頼家の墓の隣には指月殿があります。
真ん中の碑は元禄十六年(1704年)の源頼家の五百周忌にあたって、
時の修禅寺住職が筏山智船(ばっさんちせん)和尚が建てた供養塔です。
供養塔の裏側の二基の五輪石塔がお墓になるそうです。
十三士の墓
頼家が暗殺された六日後に家臣らは謀反を企てましたが、
挙兵以前に発覚し、相州金窪太郎行親らに殺された家臣十三名の墓と伝えられています。
かつて東へ二百メートルの麓にありましたが、台風被害により、
平成十七年(2005年)七月十七日に現在地へ移築されました。
尼将軍:北条政子ゆかりの地
周囲の反対を押し切り、伊豆に流罪となっていた源頼朝の妻となり、
後の鎌倉幕府将軍の源頼家、源実朝を産みました。
頼朝の死後は『尼将軍』として、鎌倉幕府を支えました。
その後後鳥羽上皇による承久の乱などの危機を乗り切り、
嘉禄元年(1225年)に亡くなりました。享年六十九でした。
北条政子が息子・頼家の冥福を祈り、菩提所として指月殿を建立しました。
指月殿(しげつでん)
指月殿は『伊豆最古の木造建築物』となります。
本尊の釈迦如来坐像は寄木造りで、高さは二百三センチあります。
持ち物の無い釈迦如来坐像には珍しく、右手に蓮の花を持っているのが特徴です。
渡月橋と桂川
独鈷(とっこ)の湯
平安時代に弘法大師空海が、川原で病気の父親の身体を洗う少年の為に、
独鈷を用いて岩を砕き、霊泉を噴出させた伝説から、
修善寺温泉発祥の湯といわれています。
近くには足湯などもある『独鈷の湯公園』もあります。
指月殿情報
- 住所:静岡県伊豆市修善寺934
- アクセス:伊豆箱根鉄道修善寺駅下車修善寺温泉行バス終点下車徒歩7分
ご覧頂きましてありがとうございます。
源頼朝の嫡男で、母は北条政子です。
十八歳で家督を相続し、その後鎌倉幕府二代将軍となりました。
建仁三年(1203年)の七月頃から急病にかかり、八月末には危篤状態となりました。
その間に頼家の乳母父で長男・一幡の外祖父である比企能員が、北条時政に謀殺され、
比企一族も滅ぼされました。
病から回復した頼家は激怒し、北条時政討伐を命じますが、従う者はおらず、
修禅寺に幽閉され、元久元年(1204年)に北条氏の手兵により殺害されました。
享年二十三でした。