静岡県伊豆市:修禅寺のご朱印

鎌倉幕府二代将軍・源頼家ゆかりの地:修禅寺(しゅぜんじ)

鎌倉幕府二代将軍:源頼家ゆかりの地

源頼家

源頼朝嫡男で、北条政子です。
十八歳家督を相続し、その後鎌倉幕府二代将軍となりました。
建仁三年(1203年)七月頃から急病にかかり、八月末には危篤状態となりました。
その間に頼家乳母父長男・一幡外祖父である比企能員北条時政謀殺され、
比企一族滅ぼされました。
病から回復した頼家は激怒し、北条時政討伐命じますが、従う者はおらず
修禅寺幽閉され、元久元年(1204年)北条氏の手兵により殺害されました。
享年二十三でした。

鎌倉幕府二代将軍源頼家建仁三年(1203年)修禅寺幽閉されました。

源頼朝異母弟源範頼建久四年(1193年)に、謀反の疑いで、
修禅寺信功院(現在の修善寺日枝神社)幽閉されました。

由緒

大同二年(807年)空海創建したと伝えられています。
創建当時地名から桂谷山寺といわれていたそうです。

鎌倉時代より『修禅寺』と呼ばれるようになりました。

建長年間(1249年~1255年)元との関係を疑われた蘭渓道隆避難の為に来住し、
その時臨済宗改宗されました。

康安元年(1361年)には畠山国清足利基氏戦乱の被害を受けました。
その後応永九年(1409年)大火災伽藍が炎上荒廃しました。

伊豆一国を治めた伊勢宗瑞(北条早雲)により曹洞宗の寺院として再興されました。

文久三年(1863年)伽藍多くの宝物焼失しました。

山門

令和五年八月参拝:山門

令和五年の夏は猛暑でした・・・。

水屋(大師の湯)

大師の湯と呼ばれ温泉が出ているそうです。

だるま石

特徴的なだるまの顔をした石です。江戸時代後期奉納されたものだそうです。

本堂

明治十六年(1883年)再建されました。

本堂の扁額

幕末から明治の政治家である副島種臣(そえじまたねおみ)揮毫(きごう)です。

鐘楼

修禅寺の宝物紹介

境内にある宝物館には、源頼家関連など多くの宝物が展示されていました。

戯曲『修禅寺物語』のヒントにもなった頼家の仮面です。

源頼家の肖像画もありました。

歌川広重名所図会に描かれた修禅寺です。

明治時代の洋画家である川端龍子(かわばたりゅうし)寄進した天井画がありました。

修禅寺のご朱印

平成二十一年拝受:御本尊:ご朱印

平成二十六年拝受:御本尊:ご朱印

令和四年拝受:御本尊:ご朱印

令和五年拝受:御本尊・ご朱印

令和五年拝受:奥之院・ご朱印

令和五年拝受:観音菩薩・ご朱印

寺院情報

  • 住所:静岡県伊豆市修善寺964
  • アクセス:伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅下車『修善寺温泉行』バス終点下車徒歩5分
  • HP:https://shuzenji-temple.com/index.html

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