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鎌倉幕府二代将軍・源頼家ゆかりの地:修禅寺(しゅぜんじ)
鎌倉幕府二代将軍:源頼家ゆかりの地
鎌倉幕府二代将軍の源頼家は建仁三年(1203年)に修禅寺に幽閉されました。
源頼朝の異母弟の源範頼は建久四年(1193年)に、謀反の疑いで、
修禅寺の信功院(現在の修善寺日枝神社)に幽閉されました。
由緒
大同二年(807年)に空海が創建したと伝えられています。
創建当時は地名から桂谷山寺といわれていたそうです。
鎌倉時代より『修禅寺』と呼ばれるようになりました。
建長年間(1249年~1255年)に元との関係を疑われた蘭渓道隆が避難の為に来住し、
その時臨済宗に改宗されました。
康安元年(1361年)には畠山国清と足利基氏の戦乱の被害を受けました。
その後応永九年(1409年)の大火災で伽藍が炎上し荒廃しました。
伊豆一国を治めた伊勢宗瑞(北条早雲)により曹洞宗の寺院として再興されました。
文久三年(1863年)に伽藍や多くの宝物が焼失しました。
山門
令和五年八月参拝:山門
令和五年の夏は猛暑でした・・・。
水屋(大師の湯)
大師の湯と呼ばれ温泉が出ているそうです。
だるま石
特徴的なだるまの顔をした石です。江戸時代後期に奉納されたものだそうです。
本堂
明治十六年(1883年)に再建されました。
本堂の扁額
幕末から明治の政治家である副島種臣(そえじまたねおみ)の揮毫(きごう)です。
鐘楼
修禅寺の宝物紹介
境内にある宝物館には、源頼家関連など多くの宝物が展示されていました。
戯曲『修禅寺物語』のヒントにもなった頼家の仮面です。
源頼家の肖像画もありました。
歌川広重の名所図会に描かれた修禅寺です。
明治時代の洋画家である川端龍子(かわばたりゅうし)が寄進した天井画がありました。
修禅寺のご朱印
平成二十一年拝受:御本尊:ご朱印
平成二十六年拝受:御本尊:ご朱印
令和四年拝受:御本尊:ご朱印
令和五年拝受:御本尊・ご朱印
令和五年拝受:奥之院・ご朱印
令和五年拝受:観音菩薩・ご朱印
寺院情報
- 住所:静岡県伊豆市修善寺964
- アクセス:伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅下車『修善寺温泉行』バス終点下車徒歩5分
- HP:https://shuzenji-temple.com/index.html
ご覧頂きましてありがとうございます。
源頼朝の嫡男で、母は北条政子です。
十八歳で家督を相続し、その後鎌倉幕府二代将軍となりました。
建仁三年(1203年)の七月頃から急病にかかり、八月末には危篤状態となりました。
その間に頼家の乳母父で長男・一幡の外祖父である比企能員が北条時政に謀殺され、
比企一族も滅ぼされました。
病から回復した頼家は激怒し、北条時政討伐を命じますが、従う者はおらず、
修禅寺に幽閉され、元久元年(1204年)に北条氏の手兵により殺害されました。
享年二十三でした。