東京都荒川区:富士塚・小塚原富士(南千住富士):素戔嗚神社のご朱印

瑞光石(ずいこうせき):素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)

富士塚(ふじづか)

富士塚

富士信仰に基づいて、富士山に模して造られた山や塚のことです。
江戸時代に始まったもので、特に関東地方の神社に多く見られます。
既に存在する丘や古墳を転用して富士山に見立てたものや、
富士山の溶岩積み上げたものがあります。
浅間神社の境内にあり、富士塚の山頂にも浅間神社奥宮が設けられています。

小塚原富士(こつかはらふじ)(南千住富士)

『瑞光石(ずいこうせき)』のある小高い塚に、元治元年(1864年)富士塚を築き、
浅間神社がお祀りされました。

紫陽花がきれいに咲いていました。

毎年7月1日御山開き斎行され、登拝することができます。

HPには「小塚原富士」と書かれていましたが、
案内板には「南千住富士」となっていました。

瑞光石(ずいこうせき)

瑞光石素戔嗚神社祭神が翁に姿を変えて降臨した奇岩といわれ、
この塚を「古塚」と呼んだことから、小塚原の地名の由来ともいわれています。

万延元年(1860年)編纂の書籍によると、千住大橋架橋の際、
この石の根荒川(現・隅田川)まで延びていたため、
橋脚がうちこめなかったという伝承があります。

由緒

延暦十四年(795年)役小角の弟子黒珍神託を受け、
祭神牛頭天王飛鳥権現二柱の神降臨した、
小塚の中の奇岩を祀っ創建したと伝えられます。

創建当初二社あった祠は、享保三年(1718年)火災のため、
享保十二年相殿として二社を祀る瑞光殿建築されました。

鳥居(日光街道側)

南千住駅から向かった際の入口となります。日光街道前にあります。

日光街道日本橋を起点とし、日光を終点とする江戸時代五街道の一つです。
付近には千住宿(下宿)が置かれました。

参道

左側に富士塚があります。

参拝当時(令和五年六月)拝殿基壇・浜縁修繕工事が行われていました。

社殿

安政五年(1858年)江戸コレラが流行した際は、厄除守を求めて、
参詣者が多く集まったそうです。

狛犬

神楽殿

桃の禊(みそぎ)(神楽殿)

イザナギノミコト死者の国から脱出するとき、桃の実を三個投げつけ追手を撃退した際、
桃の実「災厄を祓う偉大な神霊」という意味の、
「オオカムズミノミコト」名付けました。

撫で桃(桃の禊)が作成され、三つの桃の実に、『後顧』『中今』『幸先』祓が託されました。

摂社:福徳神社・稲荷神社・菅原神社

御神水

御神水として平成二十六年深井戸(深度約140メートル)新設されました。
非常時の生活用水として利用できるそうです。

天王社の大銀杏

境内は古来より「あすか(飛鳥)の森」とよばれていました。
大銀杏高さ約30メートルあります。

木の皮を煎じて飲む乳の出が良くなるという伝承を持つことから、
絵馬を奉納祈願する習わしがあります。

庚申塔群三基

延宝六年(1678年)銘、寛文十三年(1673年)銘、文化八年(1811年)銘の、
三基の庚申塔があります。

庚申塔とは六十日に一度めぐってくる庚申の日に、寝ずに夜を明かす行事「庚申待」を、
三年間継続した所願成就の証しとして建てられたものです。

松尾芭蕉道中傘と杖

境内には松尾芭蕉の道中傘と杖がありました。奥の細道の出発の地でもあります。

松尾芭蕉矢立て初めの句碑

千住大橋を模した橋と松尾芭蕉の碑がありました。

奥の細道矢立初めの地:松尾芭蕉像(南千住駅前)

元禄二年(1689年)3月27日松尾芭蕉千住の地から奥の細道の旅へと出立しました。

松尾芭蕉“行く春や 鳥啼き魚(うお)の目は泪”と詠みました

素戔嗚神社のご朱印

令和五年拝受:ご朱印

芭蕉『奥の細道』旅立ちの碑

神社情報

  • 住所:東京都荒川区南千住6-60-1
  • アクセス:JR・東京メトロ日比谷線南千住駅徒歩約8分・京成線千住大橋駅徒歩約8分
  • HP:https://susanoo.or.jp/

素戔嗚神社周辺

素戔嗚神社西側鳥居を出て、荒川区立荒川ふるさと文化館の前に、
幕末安政の大獄死罪となった橋本左内『墓・旧套(さや)堂』がありました。

橋本左内の墓・旧套(さや)堂

昭和八年(1933年)橋本左内墓を保護するために造られた建造物です。
もとは南千住回向院境内入口にありましたが、平成十八年套(さや)堂のみ寄贈され、
二十一年にここに復元されました。

中には橋本左内坐像があります。

施主橋本左内追慕し、遺徳を広く発揚することを目的として、
明治三十五年設立された景岳会で、建築家伊東忠太監修しました。

南千住には福井県ゆかりの史跡や、幕末の史跡が多くあります。
回向院には福井藩橋本左内や、小浜藩士梅田雲浜があり、
小浜藩医杉田玄白らの「ターヘルアナトミア」翻訳と、
「解体新書」刊行記念の碑があります。

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