国登録有形文化財:富山城址公園:富山城(とやまじょう)
由緒
富山城は天文十二年(1543年)に越中国守護代の神保長職(じんぼうながもと)が、
家臣の水越勝重(みずこしかつしげ)に命じて築城させました。
その後、神保長職は、越中東部を支配する椎名氏を支援する上杉謙信の攻撃により、
富山城に火をかけ逃亡、増山城に逃れて抵抗したものの、永禄五年(1562年)に降伏し、
射水・婦負二郡の支配を認められました。
その後加賀一向一揆勢が越中に侵攻し、富山城を占拠しましたが、上杉謙信が駆逐しました。
天正六年(1578年)、上杉謙信の死後、織田信長から援軍を受けた長職の嫡子・神保長住は、
上杉氏の越中勢を破り、富山城に入城するも、
天正十年(1582年)に上杉方についた小島職鎮(こじまもとしげ)らに急襲され、
城内に幽閉され、失脚。その後織田信長により佐々成政が封じされました。
本能寺の変の後、佐々成政と対立した豊臣秀吉による天正十三年(1585年)の富山の役により、
秀吉自ら率いた七万の大軍に囲まれ、成政は降伏しました。
その後越中は前田家に与えられ、加賀藩主前田利長の隠居城として、
富山城は再建されましたが、慶長十四年(1609年)の火災で焼失。
利長は高岡城を築いて移りました。
寛永十六年(1639年)に加賀藩三代藩主の前田利常は、次男の前田利次に十万石を与え、
富山藩が成立し、万治四年(1661年)より富山城を本格的に修復し、城下町を整え、
前田氏十三代の居城となりました。
富山市指定文化財:千歳御門

富山藩十代藩主の前田利保が隠居所として造営した千歳御殿の正門で、
嘉永二年(1849年)に建築されました。

総欅造りの三間薬医門で、屋根は切妻造本瓦葺、桁行6メートル、梁間1.9メートルです。
同一建築様式の城門は、「東大の赤門」として有名な旧加賀屋敷御守殿門など数少ないです。

この門は明治初期に赤祖父家に移されましたが、その後富山市が所有者から寄贈され、
平成十八年から二十年にかけて移築されました。
芝生広場

かつて本丸御殿があった場所は、今は芝生広場になっています。
富山藩二代藩主・前田正甫(まさとし)公像

芝生広場の前には、富山藩二代藩主の前田正甫公の銅像がありました。
昭和二十九年(1954年)に建てられました。高さ約十メートルあります。

父は初代藩主の前田利次で、富山売薬の基礎を築いた人物としても有名です。

前田正甫(まえだまさとし)
富山城の石垣

富山城の石垣は野面積みで、自然石を石垣とした積み方です。

小石や割石などで埋められており、排水や積石の安定をはかっています。

下記の鉄門(くろがねもん)石垣は、
方形に加工した石材を水平に積む「布積み」の部分もみられます。

城主の権威を示す鏡石がありました。

本丸石垣石材

発掘調査で見つかった、
本丸やかつてあった本丸御殿、二之丸二階櫓門などの石垣が並んでいます。

国登録有形文化財:模擬天守:富山市郷土博物館

富山城には天守閣はありませんでした。富山市郷土博物館となっている模擬天守は、
旧本丸鉄門跡の石垣上に建てられた鉄筋コンクリート造の建物です。

昭和二十九年に開催された富山産業大博覧会を機に建設されました。

平成十五年から約二年をかけて耐震改修工事を行いました。
平成十六年に国の登録有形文化財に登録されました。
戦災復興記念像:天女の像

昭和二十年八月二日未明の富山大空襲からの復興を記念して、
昭和四十九年八月一日に戦災復興記念像として建立されました。

殉職警防團員之碑

警防団員とは戦前の名称で、現在の消防団員のことです。
水火災害に身を挺してその職に殉じた消防団員の霊を弔い、功績を称えるため、
昭和十五年に建立されました。富山大空襲の戦禍を奇跡的に免れました。

明治天皇御製

明治天皇御製の碑がありました。
旧県会議事堂跡

県会議事堂は、富山城にかつてがあった洋風建築物で、
明治四十二年(1909年)に完成した木造二階建てでした。
平成二十二年(2010年)の工事の際、煉瓦積みの土台が発掘されました。

昭和十年(1935年)に現在の県庁舎に議事堂が移ると、「大正会館」と改名し、
会議場や図書館などとして広く市民にも利用されましたが、富山大空襲で焼失しました。
佐々成政歌碑

乗馬撮影ポイント

乗馬体験ができる場所がありました。富山城をバックに写真が撮れるそうです。

富山市佐藤記念美術館

ゼネコンの佐藤工業などの経営に当たっていた地元財界の有力者・佐藤家によって、
昭和三十六年(1961年)に天守閣風に建築された美術館です。

富山城の御城印
富山城の御城印は、千歳御門の近くにある、富山市まちなか案内所で購入しました。
令和四年拝受:御城印帳


令和四年拝受:御城印

富山城情報
- 住所:富山県富山市本丸1-62
- アクセス:あいの風とやま鉄道富山駅徒歩約10分・北陸自動車道富山ICより車で約15分
- HP:https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/muse/
富山城周辺
ラーメンまるたかや

富山城近くのまるたかやでラーメンとおでんを頂きました。
醤油豚骨ベースのラーメンにトッピングで脂かすをいれると更に美味しくなりました。

おでんも食べることができます。豚串やこんにゃくのあんばやしも美味しく頂きました。
渦巻き形に特徴のある富山かまぼこも良かったです。
布一酒店での角打ち


ラーメンを食べた後、ホテルの近くにある布一酒店で角(かく)打ちを楽しみました。

富山県南砺市にある成政酒造の『成政・無濾過生原酒の初しぼり』を頂きました。
オオヤブラッスリー越中風雅

布一酒店では、富山の地ビール『オオヤブラッスリー 越中風雅』を、
ホテルの部屋飲み用に買いました。美味しく頂きました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
慶安二年(1649年)に、富山藩初代藩主・前田利次の次男として生まれました。
延宝二年(1674年)に父の死去により跡を継いで、藩主となりました。
越中売薬の基礎を作った人物として有名です。
宝永三年(1706年)に亡くなりました。享年五十八でした。
“反魂丹伝説”
元禄三年(1690年)に正甫が参勤交代で江戸城に登城した折、とある大名が腹痛を訴え、
そこで懐中に常備していた「反魂丹」をすすめたところ、たちどころにおさまりました。
その様子を見た周囲の大名が効能に驚き、自分の領内で販売を求めるようになったため、
正甫の命で諸国に行商させたのが富山売薬の始まりであるという伝説です。