神奈川県鎌倉市:鎌倉三十三観音霊場第十八番札所:光明寺のご朱印

鎌倉二十四地蔵尊霊場第二十二番札所:関東総本山:光明寺(こうみょうじ)

鎌倉三十三観音霊場

鎌倉三十三観音霊場

大正から昭和初期に設定されました。
江戸時代に成立した『鎌倉郡三十三箇所』を元にしたといわれています。

専用の御朱印帳はありませんので、第一番札所杉本寺で無地のご朱印帳を購入し、
鎌倉三十三観音霊場専用としました。

鎌倉二十四地蔵尊霊場

鎌倉二十四地蔵尊霊場

明治の廃仏毀釈などで失われる地蔵尊を憂い、
明治三十四年(1901年)より各所を捜索し、
大正六年(1917年)成立したといわれています。

鎌倉二十四地蔵尊霊場には専用の御朱印帳ありませんでしたので、
寺院用御朱印帳にご朱印を頂きました。

鎌倉二十四地蔵尊霊場第二十二番札所:網引延命地蔵尊

大殿横には、鎌倉二十四地蔵尊霊場第二十二番札所網引延命地蔵尊が安置されています。

由緒

開基鎌倉幕府第四代執権北条経時で、
開山然阿良忠(ねんなりょうちゅう)上人です。

仁治元年(1240年)佐助ヶ谷に開創した蓮華寺を起源とし、
寛元元年(1243年)現在地に移転し、光明寺と改称しました。

七堂伽藍を整え、関東における念仏道場の中心となり、
後土御門天皇より『関東総本山』の称号を受け、勅願所となりました。

江戸時代には『関東十八檀林』の筆頭となり、
念仏信仰仏教研鑽根本道場となりました。

総門

総門明応四年(1495年)に建立されました。
その後寛永年間(1624年~1628年)に再興されました。

山門

鶴岡八幡宮から移築されたものとされ、
弘化四年(1847年)に再建されたものです。

扁額『天照山』永享八年(1436年)後花園天皇御宸筆です。

令和五年参拝時:山門

大殿(本堂)(国指定重要文化財)

元禄十一年(1698年)の建立です。
鎌倉一の大きさを誇ります。

令和五年参拝時:大殿(令和大修理)

現在は令和十一年(2029年)まで、保存修理期間中です。

善導大師像

善導大師中国唐代の浄土教高僧で、浄土宗の高祖です。

開山堂

大正十三年古材等を使用し建てられましたが、
平成十四年に老朽の為、再建されました。

歴代法主の御影が祀られています。

記主庭園と大聖閣(たいしょうかく)

蓮池に建つ『大聖閣』法然上人八百年大御忌に建てられました。
お堂の二階には阿弥陀三尊像が安置されています。

庭園は小堀遠州作と伝えられています。

令和五年参拝時:記主庭園と大聖閣(たいしょうかく)

テレビ東京:『池の水ぜんぶ抜く』

かつてテレビ東京の人気番組『池の水ぜんぶ抜く』で、
蓮の根を食い荒らす外来種の駆除を行ったようです。

鎌倉アカデミアの碑

敗戦直後に鎌倉在住の画家や演劇家が作った学校が、
光明寺を仮校舎として開講していました。
財政難の為、昭和二十五年わずか四年半で廃校となりましたが、
映画・演劇界など多くの人材を輩出したそうです。

平成八年創立五十年の記念碑が建立されました。

高倉健さんの墓碑

境内には俳優高倉健さんの墓碑がありました。

繫栄稲荷大明神

光明寺開山良忠上人佐介ヶ谷に住んでいるとき、子狐を助けたことがありました。
すると夢に現れた親狐からお礼としてもらった薬種から育てた薬草により、
鎌倉に流行した悪病が退散したといいます。

光明寺のご朱印

平成三十年拝受:御本尊・ご朱印

令和五年拝受:御本尊・ご朱印

鎌倉三十三観音霊場第十八番札所:ご朱印

鎌倉二十四地蔵尊霊場第二十二番札所:ご朱印

平成三十年拝受:開山記主禅師・ご朱印

令和五年拝受:開山記主禅師・ご朱印

寺院情報

  • 住所:神奈川県鎌倉市材木座6-17-19
  • アクセス:JR鎌倉駅下車逗子駅行きバス『光明寺前』バス停下車徒歩1分
  • HP:http://komyoji-kamakura.or.jp/

光明寺周辺

令和五年参拝時:『かながわの景勝50選』・天照山入口

光明寺の裏山にある天照山『かながわの景勝50選』に選ばれています。
開山良忠上人や、開基北条経時墓所があります。
現在は崖崩れの為、通行禁止になっています。

平成三十年八月:材木座海岸

光明寺の目の前は材木座海岸です。
参拝時の平成三十年八月は、海水浴客やサーファーなどが多く見られました。

遠くの建物は『逗子マリーナマンション』になります。

令和五年正月:材木座海岸

令和五年正月は天候にも恵まれ、富士山を眺めることができました。

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